2016/10/05

035(曇り、窓、ぬれた記憶)<ギャグコメ>


20161005
035(曇り、窓、ぬれた記憶)<ギャグコメ>



 曇りガラスの向こうを眺めるのが好きだ。

 普通のガラスでは物足りない。それでは向こう側の景色が透けて見えてしまう。
 向こうに何者かがいるのに、顔が見えない。存在しているということしか感じられない。
 そんな曇りガラスのことを、私は気に入っていた。
 特に、雨の日の曇りガラスは格別だった。
 その時、もはや窓は景色よりも音を伝えてくる。
 雨の音。
 曇りガラスが濡れて、窓を伝う。曇り空から雨が降る。
 そんななんとも言えない天気の時、洗濯物を取り込みに外へ出かけると、どうしても濡れてしまう。

 どうしてかはわからないが、その瞬間がたまらなく好きだった。



2016/09/23

保育所の卒園式と、どろぼうがっこうの記憶

今週のお題「プレゼントしたい本」


 


 『どろぼうがっこう』という絵本がある。


 この本と私の出会いは十年以上前に遡る。
 私がこの絵本に出会ったのは、保育所の卒園式の日であった。


 ものごころがついてわずかばかり、今の日本ではなにかと話題の、保育所から幼稚園へと移るイニシエーションの真っ只中にこの本と出会った。


 恥ずかしながら、卒園式の内容は覚えていない。
 クラスのこと喧嘩したり追いかけっこしたり、お昼寝の時間だったりそこそこ濃密な時間を過ごした記憶はあるのだが、断片的な記憶を幾つか残すのみである。


 その保育所も今や地域の児童数減少のため、場所が移転されて他の保育所と合同になり建物を残すのみとなっている。
 児童の声が響いていたその建物の門が開くのは、今はもう、選挙の投票日だけだ。


 私はかつてそこにあった保育所を卒園する際にこの本当出会った。
 卒園する際にプレゼントされた本が『どろぼうがっこう』である。


 おそらく、卒園する全員にプレゼントされたものであると思う。
 おそらく、というのは、卒園式で渡された袋は黄色い中の見えない袋で、隣のけんちゃんの袋の中を確認したわけではないから、という意味である。


 もしかしたら児童それぞれに違う本を選んで渡していたのかもしれないが、そこまで余裕があるようにも見えなかった。


 で、肝心の本の内容である。
 ロングセラーの絵本だから、ご存知のかたも多かろう。



 はじめに言っておく。ここから数行は嘘のあらすじだ。



 物語はオッドアイのミミズクの語り手からはじまる。
 主人公は盗賊の息子だが、ものごころ着く前に養子に出されてしまう。
 それは盗賊の両親が、息子には同じ道を歩ませまいとした選択だった。
 しかし、運命とは不思議なもので、主人公が九歳の時、ある大ワシにさらわれるのだ。
 大ワシの飼い主は大盗賊で、その大盗賊は器量が大きく、主人公を養うのだ。
 そして主人公は盗賊の学校に通い、技術を身につけていく。
 養子に出され、大ワシに攫われて、盗む技術を身につけた主人公は何を見つけ出すのか。
 自分のモノはなにもない。他人から奪うだけ。
 誰よりも一流の盗む技術。盗まれないのはこの技術と才能だけだが、そこに生じる盗まなければ自分には何もないという矛盾。
 はたして主人公にとって自分だけのモノとは……?
 


 ここまでが嘘のあらすじだ。以下、本当のあらすじ。


 ちなみに、
 物語はオッドアイのミミズクの語り手からはじまる。
 という部分。これは本当だ。


 物語は金色の目と、銀色の目を持ったミミズクからはじまる。
 おいのこ森のこのミミズクがどろぼうがっこうの紹介をするのだ。


 どろぼうがっこうの先生は派手である。
 どろぼうにも関わらず、隈取りっぽいのをしている。
 どこぞの忍者とためをはれる派手さである。


 先生が出す宿題はこうだ。
 何か盗んでこい。学校に持ってこい。以上。解散。


 雑だ。すごく雑だ。


 そして生徒は見事答えるのだ。


 革靴を盗んできた(自分の家の靴箱から)
 アリのたまごを30ほど(寺の庭を掘って)
 金時計を盗んできた(先生が首からぶら下げてるやつ)
 学校の黒板を盗んできた(最初から教室にある)


 落語的である。


 そして彼らは、先生の引率のもと遠足へ行く。
 かねもちむらへどろぼうに行くのだ。


 これはもはや遠足では無い。実地訓練である。
 いわばインターンだ。
 OJTとも言えるかもしれない。


 悲しいかな、最後には彼らは捕まってしまう。


 私はこの話が好きだった。
 愉快な泥棒たちがおもしろく、また掛け合いが面白かったからである。
 どろぼうしてはいけない、ということをおもしろおかしく描いた物語だと思っていた。



 しかし改めて読み直してみて、別の感想を抱いた。


 これは、船頭が舵取りを間違えた物語だ。


 


 以下、結末までのネタバレを含む。


 かねもちむらへと出かけた彼らの一団は、むらで一番大きな建物へと忍び込む。
 先生いわく、金持ちの家はでかいから狙い目だ。
 その家には、番兵がいる。
 先生いわく、金持ちの家だから泥棒よけに見張っているのだ。
 学校かホテルかのように、たくさんの
 先生いわく、億万長者の屋敷だ。
 頑丈な鉄の扉に鍵がかかっている。
 先生いわく、そこに宝があるに違いない。
 しかし、その部屋に宝はない。


 そこは実は、その辺りで一番大きい刑務所の一室だった。
 どろぼうがっこうの面々はみずから刑務所に入った、というわけだ。


 どろぼうのリーダーが、舵取りを間違えた結果、捕まってしまう。



 都合のいい解釈が危険を招く。
 その意味では宮沢賢治の『注文の多い料理店』にも構造は似ている。


 異なる点は、二人の男の掛け合いではなく、上司の判断が間違っていた、という点だ。


 今の私は、この物語を純粋に笑うことができない。
 間違いなく名作だ。少なくともわたしにとっては。



 そんな読み方はいいがかりである、歪んでいる、という見方もあるだろう。
 それはその通りだと思う。


 しかし、子供の頃に読んだ感想と、いまこの絵本いだく感想が違うということ。


 それがまた、この本がロングセラーになりうる理由なのだ、と感じるのである。


 


 もっとも、こどもたちにとってはそんなことは関係なく、純粋におもしろいがゆえに受け入れられているのだろう。


 そしてそれでいいのだ、と思う。


 歪んだ見方を抜きにしても、この絵本はおもしろい。


 


 


※書き終わってから気づいたのだが、保育所に対応するのは卒園式でいいのだろうか。卒所式、という表現は、少なくとも周りでは聞かなかった。


 


写真嫌いの私とカメラ、時々ラムネ

お題「カメラ」


 


 私はカメラが苦手だ。
 思い出を切り取ってしまうことが苦手で、形にしてしまうことが嫌いだ。


 それでも強いて言うなら、思い出はビー玉だ。
 ビー玉といえばガラス瓶で、その二つが合わさればラムネ瓶だ。
 ラムネ瓶は美しい。
 夏になるとラムネが飲みたくなる。
 ラムネを飲むと、思い出してしまうことがある。
 運動会におけるカメラのことだ。


 かつて、という話になってしまうが、少なくとも私の周りではカメラは身の回りのあらゆるものを撮影するものではなかった。
 フィルムだって安くない。
 厳選して写真を撮るのが普通であった。


 昔の写真を見直しても、皆一列に並びシャッターの瞬間を待つ。
 今のように躍動感あふれる自撮りの写真の類を、かつての自分は持っていなかったしその発想もなかった。
 あの頃の自分は、少なくとも自炊がうまくいったからと言ってわざわざ押入れからカメラを取り出し写真に収めようなどとしない。
 今やスマホでパシャりである。
 その事を考えれば、カメラも随分と安くなったもんである。


 カメラといえば、運動会だ。
 リレーでも組体操でもソーラン節でも、フィルムに収められたものだ。


 私はそれが苦痛だった。


 カメラの前で、私はうまく笑えない。


 加えて、足が速いわけでもない。踊りがうまいわけでもない。
 私はカメラから逃げ回った。
 学校の先生でも、近くのカメラ屋さんが撮影する時も、極力、顔が正面から映らないように工夫していた。
 集合写真ではさすがにそうもいかなかったが、多くの場合は功を奏した。


 個人情報に敏感な今の状況は知らないが、学校の行事の後は写真が貼り出されるのが常だった。
 そこから自分が購入したい写真を選ぶのだが、カメラから逃げ回っていた私の写真は当然ながらそこにはない。
 そのことがまた、私のささやかな喜びでもあった。


 ところが、だ。一度だけ、その写真の中に私が混ざっていたことがある。
 集合写真ではなく、正真正銘の個人写真で、私にピントが合わされ背景には運動場に掲げられた万国旗がたなびいている。
 私の口には、ラムネ瓶が咥えられていた。


 油断した。一体どこから狙われていたのかはわからないが、その瞬間を収められてしまったのである。
 私は自分の顔が嫌いだった。だから逃げ回っていたのに、後世に残る光の焼きつきとして写真となってしまった。


 しかし、私はその写真を直視することができた。
 笑っていたからだ。
 ラムネを飲んでいる時、私の顔が自然に笑っているということを、その写真から教えられた。


 その写真は今も、実家の机の引き出しの中にあるだろう。


 友人と飲みに出かける時、写真を撮る流れになることがある。
 大人になった今も、その瞬間が苦手だ。
 レンズから顔を逸らそうとしてしまう。


 どんなに酔っ払っていても、私を笑顔にできるのは、今も昔もラムネだけだ。


 


まとまっている話

三題噺で、そこそこ整合性が取れているもののリストです。 


001 (虹、クリスマス、ぬれた高校)<SF> - 三題噺の練習帖


002☆(森、地平線、輝く枝)<ホラー> - 三題噺の練習帖


006☆(入学式、悩みの種、意図的な廃人)<悲恋> - 三題噺の練習帖


007☆(楽園、テント、ねじれた恩返し)<サイコミステリー> - 三題噺の練習帖


012☆(砂、迷信、嫌な可能性)<童話> - 三題噺の練習帖


017☆(入学式、虫アミ、家の中の大学)<ギャグコメ> - 三題噺の練習帖


020☆(部屋、虫アミ、燃える記憶)<アクション> - 三題噺の練習帖


031 (黄昏、化石、先例のない遊び)<指定なし> - 三題噺の練習帖


032 (雪、テント、消えた記憶)<学園モノ> - 三題噺の練習帖


 


投稿作品

 


小説家になろうに投稿しているもののリストです。


 


 


白線と文化祭


900文字と少しの短編。すぐに読み終わります。


 


 


三題噺の反省記録 001~005

 


三題噺の反省記録


 


 三題噺の反省を兼ねて。


 本当は自分の作品に自己言及なんてするもんじゃないし、勝手に自己反省して胸の内にしまっておいて次の作品に向かえばいい話ではあるんだけど、作った話だけ置いておくといよいよブログの存在が不明瞭になる気がしたので書きます。
 自己反省。


 


 反省文は随時加筆していくと思います。


 


 まずはゼロゼロいちからゼロゼロご!


 ※ネタバレを含むかもしれませんが何一つ問題無いです



 2015年の年末当たりに別のブログで細々とやっていた別の三題噺に関しても、またそちらにごそっと移動するかもしれないし、逆にこっちに持ってくるかもしれない。
 そのブログは以下のリンク。


 


nishinokyogulliver.wordpress.com


 


 


三題噺 001 ~ 005


 


2016年06月09日
001 (虹、クリスマス、ぬれた高校)<SF>

 サイエンスフィクションというよりはなんちゃってSFになっている。


 夏にクリスマスを持ってはきたが、今読むと苦しい、気もする。
 女子高生の会話感を出してはみたが、リアル感はない。想像の範疇を出てはいないし、その想像もそこまでよくはない。
 後半の虹を意識した分光器の下りはそこそこ気に入っている。個人的に。


 


 


2016年06月09日
002☆(森、地平線、輝く枝)<ホラー>

 仮にも三題噺って名乗ってるんだからオチはあったほうがいいよな、と意識した。
 ……が、オチで何かがわかるわけではないホラーに仕上がっている。
 途中の森の中の描写もいまいち。書ききれなかった感がすごい。
 特に小屋のあたり。
 森に侵入するときの雰囲気作りだけはそこそこ気に入っている。


 


 


2016年06月10日
003 (緑色、迷信、激しい存在)<指定なし>

 苦しい。無理やり生み出した。
 ジャンルの指定なしに喜んだものの、激しい存在ってなんやねん、龍か? 龍とかか?
 ぐらいののり。微妙な作品の一つ。


 


 


2016年06月11日
004 (暁、矛盾、真のメガネ)<邪道ファンタジー>

 苦しい。上の 003 以上に苦しい。
 メガネだけならよかったが(多分そんなこともない)、邪道ファンタジーに悩んだ結果の作品。
 オチは無い。


 


 


2016年06月12日
005 (夜空、鷹、おかしな時の流れ)<ラヴコメ>

 ファンタジー、といえばファンタジー、ではあるが、でも今回のジャンルはラヴコメだった……
 そんな作品。
 舞台設定に必然性はないなあ、と反省する。
 物語には必然性のある舞台設定が必ず必要、なんてことはないと個人的には考えているが、創作の練習として考えると出来はよくない作品である。
 これもオチはない。


 


 


 ここまでで最初の五本の三題噺。
 三題噺と銘打ってこそいるものの、語源である三題噺には遠く及ばない。
 ただただ三つもらった言葉をこねくり回しただけ、という印象。


 この中だと 002 が一番強い。戦闘力的に。


 


 


 今回の反省はこの辺にて。


 


032(雪、テント、消えた記憶)<学園モノ>

 


 毎日が繰り返されると思って生きてると、ふと何かを忘れるときがある。


 何かを忘れるということと、ふと思い出すということはセットだ。
 例えば、小学校の頃の通学路で毎日見ていた看板とか、掃除の時間の音楽とか。他にも、妹が毎日学校に持っていく袋に付けられた、穴をふさぐためのアップリケとか。あの袋を破いたのは妹で、隠すための方法を俺が教えてやったのだった。
 もし、何かを忘れたまま思い出さなかったなら、その事象は存在したといえるのだろうか?
 例えば、もう思い出したくもないテストの点数とか。
 まあいい。本題に入るとする。



「あれ、あの日のあれ、どこいったんだっけ?」
 と言い出したのは、部長の照美先輩だった。
「何のことですか?」
 と俺と同学年の清太が尋ねる。
「あれよ、あれ。手袋」
 手袋? と眼鏡女子であるところの宮下先輩が首を傾げる。
「照美の手袋のこと?」
「そう。ほら、宮下は覚えてるじゃない」
「そうは言われても、何のことだか……」と俺は肩をすくめる。
「あんたに貸してそれっきりよ、確か。だから、健、あんたが場所を知ってるんじゃない?」
 と言われたが、俺には覚えがない。
「あ、思い出した。健が確かに借りてたよ、照美先輩の。ほら、あの春休み」
「何のことだ?」
「覚えてないの? 三月なのに、珍しく雪が積もって雪合戦した日」
「あー……」



 そうして俺はようやく思い出した。半年以上前のことだ。
 俺と清太が二年生に、照美先輩と宮下先輩が三年生に進級する前の春休みのことだった。
 新入生向けの新歓に向けて、我ら文芸部が春休みだというのに学校に原稿編集に来ていた時のこと。
 確か、あの日は雪が降っていた。降っていたなんてもんじゃない。前日から降りり続け、校庭には雪が積もっていたのだ。雪は昼前まで続き、なかなかの景色を部活棟の二階から味わっていた。


「原稿の編集なんてしてる場合じゃないわ!」


 と立ち上がったのは照美先輩だった。
 雪が積もっているのに部屋の中にいるなんて馬鹿の極みだ、と先導し、俺たちは雪合戦をする羽目になる。
「健、あんた手袋持ってきてないの?」
「持ってきてるわけないでしょう。こんなに降るなんて思ってないんですから」
「あっそ」
 じゃあ私のを貸してあげるわ、と目の前に手袋を差し出された。
「先輩はいらないんですか」
「私はいらないわ、素手よ」と、顔の前でひらひらと両手を振る。
「寒くないんですか?」
 清太はマフラーに手袋の完全装備だった。彼の目には、照美先輩の姿は奇異に映ることだろう。
「昔っから相変わらずだね」と宮下先輩は笑う。
「じゃあ、始めるわよ」
 こうして、俺たちの雪合戦は始まった。



「嘘だろ……」
 照美先輩と宮下先輩のチームと俺と清太のチームに別れて始まった雪合戦は、明らかに俺たちの劣勢だった。
「照美!」
「ほりゃっ!」
 二人の猛攻が続く。宮下先輩が雪玉を作成し、照美先輩が投げる。完全な分業によるそれは、俺たちを追い詰めていた。
「強すぎねえか?」
「健、そういえば確か、照美先輩、昔ソフトボールやってたらしいよ」
「なるほどね……」
 どうりで校舎の壁にぶつかった雪玉の音が鋭いわけである。当たったら絶対痛い。


「っでっ!」


 と悲鳴をあげたのはたまたま通りかかった山岳部の知り合い、田中だった。
「何やってんの?」
「雪合戦」と俺は答える。
「しかし……」
 田中は向こうのほうに見える照美先輩を見る。
「玉、速くない?」
「昔、ソフトボールやってたらしい」
 へえーっと、感嘆の声をもらす。
「ちょうどいいや。部活対抗で雪合戦しない?」
「山岳部と?」
「そう。今、俺と先輩三人が山岳部にいるんだけど、この雪で今日の予定が潰れちゃってさ。暇なんだよね」
 と田中は苦笑する。
「俺はいいが……」と続けようとすると、向こうから照美先輩が、校舎の方から山岳部の面々がやってきた。
 そして部長の話し合いがもたれ(とはいってもやろうやろうさあやろうですぐ決まったのだが)、俺たちは部の対抗で雪合戦を開始した。
 そして文芸部は照美先輩の素手による移動砲台のために雪玉を作り続け、山岳部は簡易的なテントで防御策まで弄しながら大いに盛り上がったのだった。


 


「で、その手袋よ」
 そう、俺が照美先輩から借り受けていた手袋のことだ。
「どこにあるか知らない?」
 俺は必死に記憶を辿る。
「すいません、今すぐには……」
 そう、と照美先輩は存外にもあっさりしている。
「大事なものでしたか?」
「いいえ、もうボロボロで糸もほつれてきてたし、別にいいわ」
 との返答をいただく。
「すみません」と謝りはしたものの。


 


「どこに置いたっけな……」
 家に帰ってからというもの、ベッドの上に寝転がり、俺は手袋の行方うぃ思い出そうとしていた。
「確か……」と必死に記憶を探る。
 あの日以降は雪は降っていない。だから、もう手袋をつけることはなかった。春休みだったから、次に学校に行ったのは一週間以上後。それで、確か机の上に置いたまま……
「……あ」
 俺は妹の部屋をノックする。
 何よ? と部屋の中から妹の声。
「春頃、お前アップリケにはまってたろ」
 破れた袋を直してからというもの、妹はアップリケにはまっていた。目をつけたものにはとにかく接着を試みていたのだ。
「それでどうしたん?」
「手袋ないか? 俺の手袋」
「手袋?」


 確かあの頃、妹が獲物を探して俺の部屋に入ってきたはずだ。春休みがゆえに昼まで惰眠を貪っていた俺は、妹の問いかけに半ば眠った状態で返事をした。
 この手袋、直していい? うん。と。
「手袋なー」
 もう秋やもんなー、という声に混じって押入れの中を探る音がする。
 あった、という素っ気ない声の後、部屋の扉が開いた。
「ん」
「どうも」
 俺は手袋を受け取る。
「何これ、狐?」
「兎やよ」
 とアップリケを指差して言う。
「綺麗に直っとるやろ?」
 ん、邪魔して悪かったな、と返事をして俺は自室に戻った。
 まあよかった、無事見つかったと安堵した俺は、手袋を机の上において再びベッドの上に寝転がった。


 手袋なしで素手で雪玉を作り、あれだけ雪の中を動き回れるんなら、照美先輩は雪兎というよりは確かに狐だな、と思う。


 まあいいや。明日返そう。


 


 


031(黄昏、化石、先例のない遊び)<指定なし>

 


 子供の頃の話だ。


 あの頃は、すべてが輝いていた。朝露に濡れる朝顔、水滴を転がして遊んだ葉っぱ、落ち葉の模様から冬の水たまりまで、目に映る全てが輝いて見えた。より正確に言えば輝きを放っていたのは世界の方ではなく俺の目の方だったかも知れないが、今となってはどうでもいいし、本題からはずれる。


 あれは夏の終わりの話だ。


 暇を持て余した俺は、同じく小学五年生であるあいつと遊んでいた。夏休みも終わり間近、海に入るというほど暑くもない。それにクラゲもいるだろう。とはいえ、夏の最後を楽しみたいという一心で俺たちは海に来ていた。
「暇やな」
「な」
 砂浜に座り、木の棒で砂をひっかく。描いては消しを繰り返す。あいつは炭酸の抜け切った缶ジュースを口にくわえていた。何の銘柄だったかは覚えてない。
「海ってさ」
「ん」
「砂漠やな」
「そやな」
 どっちからそんな話を切り出したかはあやふやだが、多分あいつの方だったと思う。寄せては返す波を見ながらそんなしょうもないことを話していた。
「写真でもとろうぜ」
 あいつは言った。
「その辺の海藻とか貝殻とかあと魚の骨っぽいのとか組み合わせてさ、ジオラマっぽいの」
「あー、えんちゃう?」
 俺たちは周りの海藻やら元は魚だったかも知れないものやらをかき集めて、砂浜に並べ始めた。並べては寝っ転がって、低めから狙うアングルを探す。途中、海藻を投げつけあったり石で水切りをしたり穴を掘ったり脱線しながらも俺たちは飽きることなくそれを続けた。
「後は夕日やな」
「おう」
 俺たちは最高のアングルを見つけ出し、その時が来るのを待った。お世辞にも綺麗とは言い難いティラノサウルスとトリケラトプス。手前に海藻、そして水平線を湖に見立てる。両者が向かい合うその風景を、寝っ転がって地面すれすれからガラケーのカメラで切り取る。両者の間に夕日が位置し、トリケラの角に太陽がかかる瞬間。その時を、俺たちは待っていた。
「なあ」
「ん」
「大昔にも、夕日ってあったんかな」
「そりゃあったやろ」
「ほな、化石になった恐竜も夕日見たりしたんやろか?」
「せやろ」
「恐竜も綺麗やなとか思うんやろか?」
「さあ。ただ、カメラが無かった事は確かやな」
 え? とあいつは言う。
「カメラはあってもおかしないやろ」
「何で」
「タイムマシンで旅行した奴が忘れてくるかもしれんやん」
「タイムマシンは反則やで」
「ほな、カメラ無かったら、図鑑の恐竜は誰が色を塗っとんやろ?」
「知らん。想像ちゃうか?」
 シャッターの瞬間まであと少し。
 俺は一言付け加える。
「ほんでも、タイムマシン抜きにしても恐竜はカメラは使えへんかったやろな」
「何で?」
「あの爪で、シャッターは切れんやろ」
 それもそうやな、とあいつは笑う。
 夕日が予定位置に来る。あいつはシャッターを切った。


 その後は特撮よろしく砂を巻き上げ踏み潰し、自転車にまたがって晩飯まで全速前進。



 そうして夏休みは終わりを告げた。


 


 後日、何かのコンクールに俺たちは二人の名前をアナグラムで組み合わせて、写真を送って応募した。
 結果はボツ。応募規定のサイズエラー。あの頃の俺たちはサイズなんて気にしてやいなかった。


 


 夏の終わりに海沿いを自動車で流す。


 


 あの写真のデータはもうどっかに行っちまった。


 


 


 


030(島、目薬、最高の可能性)<ホラー>

 


 


 無人島に一人きり。


 


 最寄りの島から、小船でこの島までやって来るのに丸三日。思えば遠くまで来たもんだ、と感慨深い。小さな小さな無人島。私はここに、とある薬品のもととなる材料を探しにやってきたのだった。
 うまく見つけることができれば、高値で売ることができるだろう。かつての錬金術士が記したとされる書物の中にある薬草。そのエキスを元に、万物を見通すことができる目薬をつくることができるという。噂については眉唾ものだが、買い手がいれば私にとってはそれで十分だ。効果のほどは試したい奴が試せばいい。
 砂浜に小船を固定し、島の奥へと進む。人の気配はなく、鬱蒼と木々が茂っていた。薬草の形は頭の中に叩き込んでいる。見落とすことがないように、慎重に進んで行った。
 二十分ほど分け入った頃、私はその薬草を見つけた。間違いない。探していた薬草だ。私はその薬草を丁寧に摘み採り、鞄へとしまった。


 



 やがて、万物を見通す目薬の噂は広まり、薬草を巡って多くの男が海に乗り出した。結果、その薬草もまた、今となっては書物の中に確認されるだけだという。


 


 


このブログについて

このブログについて 


このブログは、小説の練習として三題噺を書いていくものです。 


三題噺とは



三題噺
三題噺(さんだいばなし。三題話、三題咄とも)とは、落語の形態の一つで、寄席で演じる際に観客に適当な言葉・題目を出させ、そうして出された題目3つを折り込んで即興で演じる落語である。
元来、トリを取れるような真打ちだけがやったもので、客席から3つ「お題」を出してもらい即席で演じた。 出して貰う「題」にも決まりがあり、「人の名前」「品物」「場所」の3つで、どれかを「サゲ」に使わないといけなかった。



wikipedia より引用


三題噺を書く理由


創作の練習のために書いています。


とはいえ、頭の中に思いついた瞬間には名作でも、いざ書いてみるとそうでもないことはままあります。


思い描いていた世界とのすり合わせをしていくことと、週刊づけて継続していくことを目標に書いています。 


以下 、書いた三題噺へのリンクページです。


 


www.nishinokyogulliver.net


 


 


029 (入学式、死神、人工の可能性)<悲恋>

 


 振り分けられた。


 


 四月七日。入学式。
 この春、俺は高校に進学した。そして、クラスが振り分けられた。その先まで。
 その先まで、というのは卒業後の進路までを意味する。この私立高校のカリキュラムの売りである、「コンパス」による進振りである。入学した際、新入生はまず「コンパス」による分析を受ける。中学生時代までの成績、部活動、家族構成、加えて購買記録までも含むその他諸々のビッグデータから、生徒の適性を見出す。
 知能の最適化された分配をうたう、R社開発の人工知能だ。進路に悩まずにすむ、と言えば聞こえはいいが、自分自身の夢や目標と、分析結果によって提示されたコースとの間に隔たりがあることも少なくない。年度数を重ねデータが増えるほどに満足度は向上しているが、外れ値は存在する。そして納得できなかった者たちは、「コンパス」を揶揄してこう呼んだ。死神、と。


 そして、俺もその一人になってしまった。


 この高校では、ふんだんに資金が注ぎ込まれ、最新の設備が整っている。授業にしろ、部活動にしろ、最高クラスの環境と言っていい。というのも、効率化された資金分配と、最適化された人材の確保と選択、そして集中がそれらを可能にしていた。
 この環境下で、俺は美術を学びたかった。なおかつ、俺にはその資格があると思い込んでいた。
 だが、「コンパス」が下した結果は、美術ではなく、経済の適正だった。
 冗談じゃない。俺は目を疑った。適正により、俺の時間割からは美術の授業は削除され、経済を中心としたカリキュラムが組まれる。それはもうどうしようもないほどに決定事項だった。
 そんなはずはない、と俺は抵抗した。
 しかし、そんなものは甘い考えだったことを知る。
 美術に適性がある者の、絵を、見てしまった。同い年とはおもえない絵だった。


 自宅に帰り、十年は愛用してきた筆をとる。パレットに絵の具を広げ、キャンパスに向かう。
 描く。描いては上塗りし、描き続ける。
 出来上がったものを見て、絶対的な溝を知る。


 俺にはわからない。この差が埋められるものなのかどうか、確証が持てない。
 確証なんか、持てるわけがない。


 それでも、筆を置くことはできそうにない。キャンパスに向かい合うことできない。
 絵には嫌われているのかもしれない。俺の片思いで終わってしまうのかもしれない。
 経済にしか適性がなくとも、それでも筆を置きたくはない。


 


 その日から、俺は「死神」を超える方法を模索し始めたのだった。


 


 


027 (島、十字架、最初の才能)<偏愛モノ>

 


 この無人島で暮らして、もう五年が経つでしょうか。


 あなた様が亡くなって三ヶ月たったある日、私は才能をようやく見つけることができました。


 こうして改めて、あなた様のお墓にお話しようと思います。
 あの酷い嵐の日、遊覧船から投げ出された私たち二人。意識無く海を漂い、目が覚めたときにはこの小さな島の浜辺。一緒にいた執事も、叔母様も、その他、乗り合わせていた旅人の方たちは見当たらず、あなたと私、二人だけがこの島に打ち上げられておりました。私が先に意識を取り戻し、あなた様の肩を揺すると、すぐに気を取り戻されました。幸い、私にもあなた様にも目立った外傷はなく、胸を撫で下ろしたことを覚えています。
 とはいえ、このような無人島に、いつ助けが来るのか、そもそも助けが来るのかもわかりません。ひとまずは食料を見つけ、生き抜いていく必要がありました。私はこのような経験は初めてで、おろおろするばかり。ところが元船乗りであったあなた様は島の魚を取り、食べることのできる植物を見つけ、簡易的な小屋まで建ててくださいました。私はまったく役に立てず、申し訳なく思っていました。
「私にはあなたのような才能はないわ」
と申すと、
「君の才能もいつかきっと見つかる。今は僕が君を助ける」
というあなたの言葉に、いつも心が救われる反面、気持ちが暗くなり、複雑な気分でございました。


 しかし、助けは来ず、あなた様はお亡くなりになりました。


 病気に弱る中、あなた様の最後の遺言は、向こうで君を待っている、という大変に喜ばしいものでございました。
 あなたが亡くなった後、私は穴を掘り、御体を埋葬し、簡便ではありますが十字架を立てました。そして、茫然自失とする中、このまま餓死してしまおうか、と考えておりました。あなた様が好きだった、この海の見える丘で。
 ところが、です。
 ある日、一つの船がこの島を訪れました。小さな船で、乗り組み員は三人ほど。私を国まで送り、あなた様の骨も運んでくれるといいます。


 私は最初は頷いたのですが、しかし、申し出を断りました。
 断るどころか、その方々を、あろうことか、殺してしまったのです。理由は私にもわかりません。この島での長い無人島生活が私の性格を変えてしまったのか、本性が現れたのか。
 それとも、私を励まし続け、支えてくれたあなた様を、この島でひとりじめしたかったのかもしれません。
 その後も何度か、同じように船が訪れました。その度に、私は船員を殺し、海に遺体を捨てました。


 私にも理由は分かりません。しかし、私には人殺しの才能があるようでした。
 私はいつか死んだとき、あなた様に、ようやく才能を見つけることが出来たことを、報告する日を夢見て、今日も海を眺めています。


 


026 (灰色、妖精、穏やかなメガネ)<大衆小説>

 


 


 青春は灰色だ。


 


 次の授業のために美術室へと移動しながら、俺はそんなことを考える。校舎の廊下を歩くとき、その思いをより一層強くする。青春など、やれテレビドラマやら漫画やらメディアが突きつけてくるイメージに過ぎない。あんな物は大嘘だ。
 一体どこに奇妙な部活があるのか。美少女とたまたま席が隣になるのか。はたまた登校中にぶつかったりくっちゃべったり空から落ちてきたりするのか。
 あえて声を大にして言おう。心の中で。


 そんなものはなかった。


「期待してたんだね」
 なんて言うのは頭の中のピュアなる俺である。世の暗黒惨憺たる理に毒されていなかった俺である。あの頃は若く、純粋でした。


 そして、愚かでした。


 高校生活はこんなに楽しいんだ、なんて青春漫画を読んでいたあの頃の俺、グッドバイ。
 高校生活なんてクソクソアンクソ、学校帰りの肉まんと缶コーヒーだけが友だちの俺、ないすてゅみーちゅー。


 帰りたい……


 美術の授業が始まっても、その思考は止まることを知らず、むしろ今日の授業は静物画のデッサンであったがために、その思考はより加速する。教師の講義を聴くのではなく、静物画のデッサンとしてリンゴを見つめ誰とも会話しない状況では、より内面へと思考が潜伏する。しかも画題はデッサンに何かをつけたせ、ときた。何を描こうか、リンゴの隣には何がふさわしいか、思考をめぐらせる。
 そう、その姿はまるで、正体を隠して生きる現代の哲学者――


「その辺でやめておきなさい」
と一オクターブ高めで頭の中にこだまする声は、比較的、冷静な俺である。そんな考えは夜眠る前だけにしておきなさい、戻ってこれなくなるわよ、と。
 俺はそのゴーストに従う。


 でも、あれね。なんで普段喋る量よりも頭の中の声のほうが多いんだろうね。頭八割、会話二割、見たいな。パレートの法則?
 例えばである。あそこで和気藹々としている仲間に囲まれているにも関わらず、黙々とリンゴを描いているクラス内ヒエラルキー上位のイケメン爽やか高校生スーパーマンなんかも、頭の中の声の方が多かったりするのだろうか? それとも、クラスの上位二割に位置する奴は、脳内会話の割合も会話に比べて二割なのかしら?
 なんてことを、そいつを見ながら考えていた。目があった。
 やばっ。視線を感じたのだろうか。……そりゃそうか。


 すると、あいつは事も簡単に、にこっと爽やかスマイルを返してくる。……返してくる、というのは厳密にはおかしい。俺は別にあいつに笑いかけてなどいない。仕方なしに、俺は俺で、アルカイックスマイルならぬギコチナッシスマイルを返しておく。ああ、やばい、絶対に笑えてねェ。
 するとあいつは満足したのか、自らのキャンパスへと視線を落とし、リンゴのデッサンを再開する。


 ……やめて! これ以上俺に劣等感を植え付けないで!


 どうにもこうにも落ち着かないので、デッサンに勝手に手を加える。リンゴ、リンゴ、あー、もういいや、なんか描き足そう。教室を見渡すと、サモトラケのニケのスケッチが目に入った。美術部が書いた物だろうか。あれでいいや。書き加えちまえ。
 リンゴの隣に、二周りほど小さく描いていく。サモトラケのニケに頭はないけど、いいや、描いちまおう。リンゴの隣にいる妖精。うむ。それでいい。俺は寛政をイメージしながら筆を走らせていた。


「あら、発想が豊かなのね」
と、右斜め後方から声がかかる。美術の教師、眼鏡の奥に、穏やかな瞳を携えた中年の女性教諭だ。
「……ありがとうございます」
とりあえず返事をしておく。


 ……やめて、褒めないで! 突然褒められてもどういう顔をしていいかわからないの!
 その後も筆を動かしながら、ぼんやりと考える。


 あー、青春なんて灰色だ。


 今日は学校帰りにコンビニで肉まんと缶コーヒー買って、撮り溜めたアニメでもみよう。


 


 


025 (曇り、目薬、最後の大学)<SF>

 


 


 どんよりとした灰色の空の下、第一体育館は喧騒に包まれている。
 今日、私は大学を卒業する。四年間通った大学を卒業するのは、なかなかに感慨深い。サークルに研究室、色々と思うところはあるが、何よりもまず、今日という日に、この大学の上の曇り空が不思議であった。
 というのも、人類が天候をある程度管理することが可能になってからというもの、この大学はこういった大きな行事の度に人工的に晴れを作り出していたからだ。それからというもの、入学式は晴れ、卒業式も晴れで、特に学園祭などは野外でのパフォーマンスは雨天中止の心配が無くなり、学際実行委員の懸念事項が一つ減ったという話だ。
 なぜそんな事が一大学に許されるのか。それは、私が生まれる少し前に、この大学の研究から生まれた技術であるからだ。以来、大学から半径二キロメートル圏内は、排他的にこの大学が天候を支配しているといえる。
ゆえに、特に卒業式というハレの日に、曇り空であるということを許しているのかが不思議だった。


 


 第一体育館に入ると、受付で粗品を渡された。黒塗りの拳大ほどのプラスチック箱。なんだろう? と開けてみると、中には目薬が入っていた。
 目薬? 何で? と思ったが、考えても検討がつかない。
 そうこうする内に、卒業式が始まった。式辞通り、滞りなく行われていく。そして、学長の言葉となった。
「皆さんはこれから社会に出て行く訳ですが、――」
 御決まりの定型句。そろそろ終わりだな、と私は考えを自らの大学生活にうつしていた。色々あったなあ、と思い返していたのだが、
「さて、私の大学生活で一つだけ心残りがありました。卒業式で涙を流してしまい、友人に笑われたことです」
 ……なんだかよくわからないが、学長の言葉の雲行きが怪しくなってきた。
 その後もいかに恥をかいたのかを語り、最後に、
「ゆえに、今年の卒業式はあえて曇りの日にしました。そして目薬も配布いたしました」
 これで涙を誤魔化しましょう――と。


 


 ……あー、よくわからないが学長のエゴだ。
 館内は少々ざわついているが、そりゃあそうだろう。意味がわからない。


 


 何はともあれ卒業式が終わり、体育館からぞろぞろと人が出て行く。
 まー変な大学だった、と思いながら歩いていると、なんと、実際に涙を流し、そこに目薬をさして誤魔化そうとしている奴がいた。大変に感受性が豊かである。空を見上げると、曇り空からぽつ、ぽつと雨が二、三滴ほど顔に降りかかる。このまま小雨になってしまうのだろうか。


 


 懐から先ほどの目薬を出して、両目に二、三滴ほどさした。曇りのせいか雨のせいか、はたまた目薬の性だろうか。焦点が少しずれて、滲んだ視界に四年間を過ごしたキャンパスが浮かび上がる。
 ……私は私で、おろしたての靴が雨に濡れそうで、ちょっとだけ泣きそうだ、なんて。


 


 もう一度、目薬をさしておいた。


 


 


024 (砂漠、息、ぬれた可能性)<ギャグコメ>

 



 私は今、この砂漠で福音に触れようとしていた。


 私は旅の途中、この砂漠に迷いこんだ。だが、迷い込んだという表現は適切ではないかもしれない。私は旅をする上で、自らこのルートを選んだのだから。砂漠を突っ切るルートと、迂回して隣国から、自国へと戻るルート。前者の方が早く帰国できるため、私は砂漠を突っ切ることにしたのだ。
 しかし、である。道中、砂嵐に遭遇してしまい、道を見失ってしまった。どうしようか、と考えたが悩んでも仕方が無い、歩き続ければやがて出ることができるだろうと思い、歩き続けた。
 幸い、砂漠とはいえそこまで広くは無い地域だ。まっすぐに歩き続ければ、半日ほどで周囲の街道にたどり着ける。


 そして二時間ほど歩いた頃である。喉の渇きが強くなっていた。ふと、右手のほうから涼しい風が吹いてきた。かつて、耳にした砂漠における福音の話だ。旅人が時折、砂漠で涼しい風を感じたとき、精霊の加護を受ける、という話だ。その涼しさに身を任せていた――が、
「冷たっ!」
風じゃない、風どころじゃない、冷たっ!



 突如、眼前の砂漠は蜃気楼さながら消えうせ、目の前にE子の顔があった。
「あ、起きた」
「……何したの」
「ん」
とアルミ缶のサイダーを差し出してくる。
「幸せそうに寝るね」
「……ほっとけ」
 そういう俺の右頬が濡れていた。


 


028 (夏、残骸、危険な関係)<ホラー>


「暑い……」
 思わず、声がもれた。


 


 放課後の教室。秋も近づき、日が涼むのも早くなってきた。私以外は誰もいない教室。開け放たれた窓からは、野球部の掛け声が聞こえていた。
「めんどくさい……」
 目の前の原稿用紙。私は今日の午後六時までに、感想文を書き上げなければならない。
 読書感想文。不覚だった。夏休みの後半に入るまでに宿題をそうそうと切り上げ、悠々自適に過ごしていたあの頃。読書感想文が、新書でなければいけないなんて、私は聞いていなかった。正確には、宿題一覧のプリントには記述があったけど、毎年の感覚で、適当に見繕った本で書いたのだ。結果として、私は読書感想文を書き直すはめになる。
 まさかこんなところに刺客が残っていようとは……。原因は私だけど。宿題の残骸処理のために、この暑い教室に残っている。さっさと書き上げて帰ってしまいたいのだが、どうにも筆が進まない。端的に言えば、気分が乗らない。
 どうして読書感想文を二回も書かねばならぬ。いいじゃないか、古典のホラー小説でも。成績減点でも、私は全くかまわないというのに。


 


 感想文をなんとか書き上げて、職員室に行って提出する。なんとか時間までに終わった。
 しかし、宿題をあんなに出してなんになるというのだろうか。生徒と勉強の関係に亀裂が入るだけではなかろうか。


 


 とりあえず、家に帰ってホラー小説でも読もう。


 


023 (晴れ、告白、消えたトイレ)<王道ファンタジー>

 


 雲一つない、晴れ晴れとした空であった。今日は最高の日になりそうだ。
 ただ一つの懸念事項を除いて。


 今日は野外でビアパーティの日だ。次々に客がやってくる。反響は上々だ。
 しかしながら、そのタイミングはやってきた。


「すいません、トイレはどこですか?」


 きた。正直に伝えるしかない。


「すみません、トイレはないんです」
「え?」
「今朝、トイレが消えたんです」


 ついに、伝えてしまった。
 客から暴動が起きそうだ、と思ったそのときである。


「私にお任せを」


 突如として現れたその男は、何らかの呪文を唱えると、突然、トイレが現れた。
 彼は私たちがお礼を言う間もなく、去っていった。


 


022 (風、テレビ、穏やかな運命)<指定なし>

 


 一枚のDVDが送られてきた。


 私はそれをプレーヤーにセットして、再生ボタンを押す。すると、高校での教え子が二人、海を背景に映っっていた。男が一人、女が一人。
 その二人は笑顔で、こちらに話しかけてくる。
 それは、その二人の結婚式で用いられた新郎新婦のビデオであった。あの二人のことは今でもよく覚えている。何かと騒がしい二人だった。明るく朗らかでありながら、進路相談では将来に悩む、一般的な生徒であった。他の生徒とさして変わったところはないのだが、それでも私が二人のことをよく覚えているのは彼らがよく私に話しかけてきたからである。
 二人は仲がよく、付き合っているということは知っていたが、まさか結婚するとは思っていなかった。私は仕事の都合で彼らの結婚式に行くことはできなかったが、大学に入ってからも交際を続け、結婚に至ったと聞いている。このまま末長く、良い関係を続けて欲しいと切に思う。
 二人の喋りが終わると、彼らの友人の映像が映る。そして、その後ろには鯉のぼりが風にたなびいていた。今までの教え子は彼ら以外にもたくさんいたし、今も増え続けている。私にできることは少ないが、その鯉のぼりが大空を悠々とたなびくように、穏やかな運命を歩んで欲しいと思うばかりである。


 


021 (空気、コーヒーカップ、最高の罠)<ホラー>

 


 世の中が俺を中心に回っている。


 今、俺の目の前には何も存在しないはずであるが、俺は目の前から空気の圧力を感じている。この謎の圧力の正体が何かは分からないが、恐らくこれが噂の原因だろう。
 ある夏の日のことである。俺はある遊園地に来ていた。そこはもう、客も少なく廃園間近で人気のない遊園地だ。来場客よりスタッフの数が多いなんてことはないが、両者の数がほぼ同等であると言ってもいいくらいの過疎っぷりである。
ここのコーヒーカップに用があって、俺はこの遊園地を訪れた。ある噂を聞いたからだ。
 そのコーヒーカップには、「何か」があるという。「何か」としか聞いてはいないが、霊的なものではないか、と推測している。その噂によると、そのコーヒーカップに乗って回転数を上げると、「何か」が見えると言う。その「何か」を確かめに来たのだ。
 俺は意気揚々とコーヒカップに乗り込んだ。そして、噂通りコーヒーカップの回転数を上げていく。すると、景色が回転し始め、世界が俺を中心に回る。
 自分は凡庸な人間であると自覚していた俺だが、俺を中心に世界が回って欲しいと思うこともないではない。中二病なのかもしれない。しかし、いざこうして物理的に俺を中心として世界が回ると、気持ち悪くなってくる。遊園地内の木々やメリーゴーランド、スタッフが目の前をその形がなんとか判別できる速さで通り過ぎていく。すると、目の前の空気が何らかの圧力を持ち始めた。何なのだこれは、と思っていたが、俺は構わず回転数を上げ続けた。


 気持ち悪い。


 やがて、音楽は止まり、俺はコーヒカップから降りようとする。足がふらついて、うまく歩けない。
 俺は何とかトイレまでたどり着き、手洗いにうっぷせた。気持ち悪い。まだ瞼の奥にあの景色が焼き付いている。まるで走馬灯を見ているかのようだ。


 吐いた。俺は吐いた。


 吐くとだいぶ楽にはなったが、まだ気持ち悪い。そして俺は一つの自論に行き着く。これは恐らく噂の正体ではないが、俺にとっては真実だ。


 あの噂を聞く。
 そして、コーヒーカップの回転数を上げる。
 気持ち悪くなる。
「何か」とは比喩としての地獄である。
 吐く。
 まだ気持ち悪く、その後の園内散策を楽しめない。
 もう二度と来ないようにしようと思う。
 そして客が減る。


 きっと、これは罠だ。競合相手の遊園地の策略だ。
 客を減らすための、そんな噂を流したのだ。


 くそったれ。


 俺はその遊園地を後にした。そしてネットに書き込んだ。
 確かに「何か」を見ることになる、と。


 


020☆(部屋、虫アミ、燃える記憶)<アクション>

 


 血が欲しくてたまらない。


 ストリートの路地裏で、俺は拳が満足する場所を探している。これはもはや本能だ。幸か不幸か、俺は今、人間として生きている。あの大嫌いだった人間として、だ。人間になったのにも関わらず、俺は人間からも忌み嫌われている。どうせ忌み嫌われるのであれば、吸血鬼として生まれ変わればな、と思う。さすれば、拳を振るうだけでなく、人間の血を吸うこともできように。


 


 あれは六月のことだ。湿った空気の雨の日だった。こうも空気が湿っていては、外はどうにも飛びづらい。俺は窓からある民家に入り込んだ。獲物はいない。まあ、昼間であるからして、出かけているのだろう。獲物がいなくては始まらない。かといって、外へ出るのも面倒だ。俺はその家で獲物が現れるのを待つことにした。
 その間に、家の構造を把握しておく。どうやら一階建てで部屋は三つ。台所が一つ。風呂場が一つ。あとは玄関である。もっとも重要な事として、窓は三つ。各部屋に一つずつである。どこからでも脱出できるよう、シミュレーションを繰り返す。何度繰り返しても、体力とのバランスさえ間違えなければ慎重すぎるということはない。それが生死を分けるのだから。
 玄関から音がした。俺は身構え、天井で待機する。女。入ってきたのは女である。うら若い女。蒸し暑いためか、腕の露出した服を着ている。脚はというと、足首まで布で覆われている。下は狙えそうにない。女は鞄を床に降ろし、部屋の一つへ入っていった。俺は距離を保ったまま追いかける。女が上着を脱いだ。タンクトップが現れる。肩から二の腕にかけての、肌理きめ細やかな純白の肌が俺を誘う。
 しめた。
 肌の露出した部分が増えれば増えるほど、俺は事を有利に運ぶ事ができる。俺は狙いを定める。上だ。上。ほっそりとしたうなじから、肩甲骨に向けての大地。肩、脇から、胸の膨らみにかけてのライン。いずれにしろ、狙いをつけて、一気に決める。
 女が台所に行き、冷蔵庫を開けた。麦茶を取り出し、食器かごからコップを取り麦茶を注ぐ。冷蔵庫を閉め女が部屋に戻るのとともに、俺は女の背後に忍び寄った。
 女が椅子に腰掛け、コップを左手側に置く。パソコンのスイッチを入れた。俺はといえば、目の前の誘惑に必死に抗っている。肌。純白の肌。肩甲骨が美しい。こうして目の前で実際に触れると、本能でもういいんじゃあないか、と思ってしまう。この滑らかな純白に、俺の痕跡を残したくてたまらない。
 だが、俺は耐えた。耐えることが欲望を刺激し、満足を増幅させる。もう狙いは定めている。脇から胸にかけての、ワンスポット。あそこを狙う。俺はそのタイミングを探るため、名残惜しいながらも肩甲骨から移動する。
 俺はその時を待つ。女は左手側に麦茶を置いている。すなわち、コップを掴む際には左手を用いる。必然、腋窩に新たな地平線が広がる。さらにコップに口をつけ麦茶を飲むとなれば、隙も大きい。そこで俺はたっぷりと、この体を十二分に満たすことを目指す。想像するだけで、体が熱を持つかのようだ。
 女が左手を動かした。今だ!
 俺は一度飛び上がる。女がコップを手にする。俺は急降下し、二の腕の下へ潜行する。女がコップを口に付けると、ほの暗い陰影に映える滑らかな腋が姿を晒した。
 俺は一直線に腋へと進もうとした。一本たりと毛の無い、その腋へと進もうとした。
 だが、迷いが生じてしまう。


 誤算だった。


 タンクトップ。そう、タンクトップだ。
 俺の視界には、姿を現した腋と、わずかに動く胸の肉が写ってしまった。俺の思考に余計なノイズが入る。腋よりも、あのふくよかに俺を誘う胸の方が美味しいんじゃあないか。
 時間が無い。俺は目標を変える。
 ここまで一瞬の刹那の思考ではあったが、どんなに短い時間でも、その分だけ満足感とトレードオフである。俺は速度を増して、谷よりも純白の山の麓を目指した。
 着地。俺の痕跡を残す。南極点に旗を立てるかのように。そして俺は作業に移る。
 至福。恍惚、満足。いくらでも味わっていたい。
 まただ、これが天敵なのだ。一度、このような格別を味わうと、ずっとその場に留まって痛くなる。常に己の欲望と戦わねばならない。
 背後に動きを感じた。どうやら女がコップを机に戻したようだ。もう終わりか!
名残おしいが、俺はその場を離れ、肩甲骨へと回る。
 女が右手で、左胸の近くを掻いている。俺が吸った場所だ。これだ。俺は食後のこの行為を見るたびに、恍惚に浸れる。そうだ、俺が痕跡を残したのだ。
 そして俺は、この家からの脱出を考える。まずは安全の確保だ。天井へと向かう。
 女は気づいていない。今ならすぐに脱出できるだろう。窓の向こうも、小雨になっているようだった。


 しかし、あれは誤算だった。あそこで腋窩か胸か迷わなければ、まだ味わうことができただろう……


 女を見ると、左手をまっすぐ上に上げている。腋窩から胸にかけてを覗き込むようにしている。
 必然、女の胸の、あのふくらみが、また俺の視界に入る。


 ……小雨とはいえ、まだ雨が降っている。


 俺はもう少しだけ、その家に居座ることにした。


 


 いつの間にか、夜になっていた。
 女が風呂に入り、しばらくして、床につくようだ。
 俺はずっと考えていた。昼間から、それだけ頭が一杯だった。寝てしまえば、予想できない動きは増すものの、別の楽しみ方が増える。布団の中に潜り込み、さらには寝間着の袖から入り、あの山のもっと深い場所に痕跡を残そう‐‐
 女が電気を消した。
 俺はこれからのことを考えると、おかしくなってしまいそうだった。
 しかし、女は再び電気をつけ、何かと動き回っている。
 何だ、何をしている、早く眠りに就け。俺は気が火照っていた。


 女は、あれに火をつけた。
 そして電気を消し、床に就いた。


 やめろ……!


 完全に誤算だった。想像を増す欲望に、抗いがたい本能が勝る。俺はその本能に引き寄せられてしまう。
 冗談じゃあない……!
 それは蚊取り線香であった。
 虫アミよりも蚊帳が嫌いで、蚊帳よりも蚊取り線香が俺は嫌いだ。


 欲望が身を滅ぼす……!


 完全なる誤算だった。俺は自らの欲望を早く満たさんとはやる気持ちのため、女に近づきすぎていた。普段であれば、蚊取り線香などという兵器に近づきすぎることはないように俺は振舞う。そうやって生き延びてきた。今回は欲望のため、注意を怠っていた。まさか、こんなうら若い一人暮らしの女が蚊取り線香などという古風な物を保有していようとは……!


 熱源が近くなる。
 嫌だ、冗談じゃない……!


 しかし、本能は欲望に勝る。欲望の想像も、昼間の記憶も、その熱源に近づき、燃やされる。


 俺は因果を思い出す。昼間、迷ったのがこの状況を招いたのだ。腋窩か、胸か。あの一瞬の逡巡が、満たされない気持ちを起こし、この家に止まらせた。小雨だから、など言い訳に過ぎない。俺は欲望に負けたのだ……!


 体が燃える、昼間の記憶も燃える。やがて、俺は意識を失った。


 


 


 目を覚ました時、俺は路地裏に倒れていた。どういう訳か、俺はヒトの姿になっていた。男。俺はヒトの男になっていた。立ち上がり、路地裏をさまよった。弱々しく見えたのであろう、俺は幾度となく、柄の悪そうな男達に絡まれた。
しかし、俺は苛ついていた。こうして転生したのちも、頭にこびりついているのは最後の欲望である。あの女の血を吸い損ねたという記憶。己の欲望に負けたという憤慨。怒りのはけぐちはいくらあっても足りなかった。
絡んできた男達は事あるごとに殴りかかってきたが、俺の感想は一つだった。
遅い。遅過ぎる。
 拳を躱かわし、俺の拳を叩き込む。喧嘩を売ってきた者に、俺の痕跡を残す。
 死線をくぐってきた数が違うのだ。俺は食事の度に命がけであった。暇つぶしのために絡むような者の拳など、俺には止まって見えるも同然だった。


 俺は「俺が転生したのであろうヒト」の財布から住所を見つけ、どうにか俺の寝床を見つけた。以来、俺は自分が転生した理由を探ってみてもいるが、何より、常に血に飢えている。


 


019 (南、蜘蛛、正義の剣)<王道ファンタジー>

 


 


 世界の空を、蜘蛛の影が覆っている。


 それは静かに、目に見えて目立つほどの害を及ぼしてはいないのであるが、だが確実に、その大陸に影を落としている。
 百年以上前の事、一匹の蜘蛛が現れた。その存在は大きい。巨大と形容するよりも、日の光を遮る天蓋てんがいであると言える。
 蜘蛛の中心、すなわち胴体は大陸の中心部、王都をすっぽり覆うかのように上空に浮いている。厳密に言えば八本の脚で支えているからして、浮いているわけではないのだが、その脚は余りに長く、胴体は浮いているに等しい。脚は太く、ヒトが十人で腕を取り合い囲むほどの太さである。この太く邪悪な脚が、大陸の四方八方の端に根ざした上で、王都上空の胴体を支えている。
 王立研究所の学者は蜘蛛の影から、胴体の大きさを試算した。かの胴体は王都の三分の二に届き得る大きさであろうとの事。そのような大きさにも関わらず、遥か上空に位置するためその影は王宮を覆うほどで済んでいるというのだ。


 蜘蛛は直接的な害を及ぼす事なく、だが確実に存在していた。


 影の影響からか、王宮には陰鬱な雰囲気が漂っている。そのせいか、王都の治安は少しづつ乱れ、周辺諸国も各々が政権が為に動き出した。
広大な大陸の東に位置するこの王国は、王都を中心として東西南北に四つ、そしてその間に四つ、計八つの諸国が存在している。三百年前、大陸を統一した国が交通と政治的便益の為、中心に置いたのが王都である。


 そしてこの物語は、南に位置する弱小国の一人の男から始まる‐‐


 


 大陸の南は海に面している。穏やかな大海である。見渡す限り空の蒼と海の藍であり、島も見えない。水平線の向こうに果たして陸があるのかどうかも定かではない。
 この南の国の海辺に、大木のような蜘蛛の脚が存在している。動くこともなく、揺れることもない。しかし、人々の生活に影を落としていた。
 その海辺に、一人の男が住んでいた。彼は漁をして生計を立てていたが、その生活に飽き飽きしていた。不満はなかったが、満足もしていなかったのである。
ふと、彼は思いついた。蜘蛛の脚を、切ってみよう、と。小屋から鋸のこぎりを取り出し、蜘蛛の脚に刃を当てた。
 引く。押す。引く。押す。
 何度となく繰り返しても、切り進んでいる感覚はない。それでも男は、日々、涼を終えてからその作業を繰り返した。
百日、二百日、三百日が経った頃である。


 遂に、男は蜘蛛の脚を切り終えた。


 男が蜘蛛の脚を切り終えると、どういうわけか、切り株にあたる部分だけが残り、倒れるであろう断面より上部が中空に消え去ったのである。それは霧が晴れるかのようであった。
 男が残った脚に目をやると、何やら硬い、棒状のものが刺さっていた。まるで蜘蛛の骨のようだと男は思った。しかし、男はそれを洗ってみることにした。海水に浸けその棒状の物を揺すると、即座に黒い錆のようなものが落ちていく。海面から上げ、空に掲げた。


 それは、陽光を受けて輝く白銀の剣であった。


 男は驚き、その剣を放り投げ、砂浜に落としてしまう。すると、切っ先は北を指し示した。
 男はその剣を小屋へと持ち帰り、大切にしまった。次回の王都の祭りに、魚を持っていくついでに売り払おうと考えたのである。


 そして次の秋祭りの際、男は王都へ赴いた。
 鑑定士にその剣を見定めてもらおうとしたのだが‐‐


 男は大陸をめぐる、数奇な運命に巻き込まれていく。


 


 而して、次世代の建国が始まった‐‐


 


 


018 (天国、風船、最速の主従関係)<ラブコメ>

 


‐‐離すなって言いましたやんかぁ!!


‐‐なんでわいは今、お嬢はんと空から落ちますねんや!


「ほなかて、手の力がもう入らんようになってしもうてん」
「せやけど、風船から手え離してしもたら落ちるってわかってましたやんか!」
「しゃーないやろ、生まれてこのかた箸より思いもん持ったことないんやし」
「せやけど、このままやと死にまっせ」


 男と少女が空にいた。男の方は二十代半ば、少女は十五、六歳といったところだろうか。青い着物のとは対照的に、赤の晴着はれぎを着た少女。
 白い雲ひとつない快晴の青空に、よく映えている。
 二人は今、落下していた。話は少し前にさかのぼる。


 


「ええ天気やし、出掛けよか」
「ええんですかお嬢さん、一昨日、外出禁止令出たばっかやないですか」
「かまへん。あんなもん、うちの爺さんが神経質なだけや」
「そうでもないと思いますえ……」
「そなことない。うちに、いかなる時も正直であれ、言うたんはお爺やで」
「せやかて、ご隠居の囲碁仲間に禿や言うことありませんやんか」
「何言うとんねん。ハゲはハゲや、真実や」
「いやでも、そらご隠居も怒りますやろ」
「ほな言うけど、そもそもうちを子ども扱いしたんは黒田屋さんの方や。可愛らしいわあ、十歳? や言うて、知っとるくせに」
「そらまあそうですけど……」
「何や!」
「いや、何でもないです」
少女の背丈は他の同年代に比べて小さいものであった。体重も軽く、突風でも吹けば飛んでいきそうである。
「それはそうと、出かけるで」
「はあ、どうぞ行ってらっしゃいまし」
「何言うとんや、一緒に来るんやで」
「何でです?」
「暇やからや」
「そんなに満面の笑みで言わんでも……」
少女の顔は、暇とは対局的なものであった。


 


「あの時、やっぱり見送りだけしましたらよかったあああああ」
「何言うとんねん、ほんなら竹が怒られるだけやろ」
「せやかてまさか考えもしませんやろ、出かけたらすぐ、風船、手えから離した子どもがおって」
「うちがそれ掴んだら、からだも浮かんだもんやから」
「慌ててお嬢はんの脚掴んだら、わてまで浮かび上がって」
「あれよあれよと空の上や」
「それでお嬢はんの手がもう耐えれん様になってしもうて」
「今、こうして落ちよるってわけやな」
「でもお嬢はん、冷静ですな」
「そらもう、無理やろ」
「やっぱそう思います?」
「そらそうやろ。幸い、風に流されて河の上まで来たとはいえ、この高さやとまず死ぬな」
「えらい達観してますね」
「まあな、うちは子どもちゃうからな」
「自信満々に言うてますけど、さっきから足の皮、鳥肌だらけですえ」
「うっさいわ! ほな言わせてもらうけどな、お前の剃り残しの青ヒゲさっきから脛すねんとこでじょりじょりいうて気持ちわるいわ!」



 二人は派手な音を立てて河に落ちた。


 


「あれま」
「これはどういうことでっしゃろな」
「うちら河に落ちたのに」
「また空の上でっか?」
「あ、あれ見てみい」
 少女が指差す先には、一つの看板があった。



 天国こっち→



「ほな行こか」
「お嬢はん、もはや達観しすぎちゃいますか?」
「しゃーないやろ、河に落ちて空の上で、あんな看板があるってことはあの世なんやろ」
「はあ、まあ」
「ほな行くで、ついて来きいや」
「へいへい」


‐‐かみさんに会うんなら、その青ひげきっちり剃った方がええんちゃうか
‐‐そう言うお嬢はんも、髪の毛ぼっさぼさですえ
‐‐まあもうしゃあないわな


 



 空から最速の速さで落ちる二人の主従関係が応用的な吊り橋効果で少しだけ親密になるかもしれない例の一つ。


 


017☆(入学式、虫アミ、家の中の大学)<ギャグコメ>

 


 真夏のこの家の中で、俺と姉ちゃんはカブトムシを探している。
 俺はといえば、階段の横の通路を抜き朝差し足で音を立てないように、獲物に狙いを着けていた。
「ッふっ!」
俺の手を交わし、家のどこかへ飛び去っていくカブトムシ。
「何でこんなことに……」
 シャツが汗ばんで気持ち悪い。
 俺は溜息をついた。


 


「よっ、久しぶり」
 姉が帰省したのは、八月一日のことである。関東の大学に通っている姉は、今年の夏も帰省してきた。俺としては、何かと面倒くさいので嬉しくはない。嫌ってほどではないが。
 だが、その気持ちは翌日の二日に失われた。面倒で仕方ない。事件の発端は姉の持って帰ってきた荷物である。「それ」が逃げ出したことが原因だった。
火曜日の午前中、両親はすでに仕事に出かけ、妹は部活へと赴き、俺は夏休みの惰眠を貪っていた時のことである。
「ああっ!」
姉の悲鳴が聞こえた。
 しかし、俺は確認しに行く事も助けに行く事もしない。あいつはそういう奴なのだ。極力関わらない事に限る。俺は気にせず自室のベッドの上でクーラーの涼風と扇風機の二重奏に身を任せていた。
 すると、ドスドスという姉のものであろう足音が聞こえてくる。俺の部屋の前で止まり、ドアをノックする。俺は反応しない。ノックの音が鈍い音に変わる。俺は気にしない。ドアノブがガチャガチャ音を立てる。……俺はまだ気にしない。どんどんどんどんガチャガチャどんどんどどんどんどんガチャメリメリメリメリガチャどん


「うるっせーーよ! なんなんだよ!」
っんっパーーンっという音とともに姉が部屋へ入り込んで来た。
「頼みがある」
「ドア壊してんじゃねえよ!」
「カブトムシが逃げた」
「人の話聞けよ!」
‐‐あ? カブトムシ?
「なによ、カブトムシって」
「カブトムシはカブトムシよ」
「いや、逃げたって」
「そうよ、逃げたんよ」
「どこから」
「私の部屋から」
「どこに」
「家ん中に」
……何を言っているのだろうか。
「何で」
「何が」
「何で逃げたん」
「ふた開けてしもとってん」
「ちゃんと閉めとけや」
「可哀想やろ、あんな狭いとこに閉じ込めとったら」
「部屋ん中で放し飼いにしとったんか」
「まさか。一時間もしたら戻すつもりやったわ」
「ほな何で逃げたんや」
「トイレ行こ思たらその隙にドア開けた隙に逃げたんよ」
「知らんわ、姉ちゃんが悪いんやんけ」
「んな事言わずに手伝ってえや」
「知らんわ、んなもん」
「うち、虫触るんはええけど捕まえるん苦手やねん、あんた昔から虫網使うん上手かったやんか」
そうなのだ。俺は昔から虫とりが上手かった。近所でも三本の指に入るほどだ。うち一人は真田シンダのケンちゃん、もう一人は妹だ。でも今はそんな事はどうでもいい。
「虫網や、この家ん中でふりまわせへんやろ」
あー、と姉が声を漏らす。
「そやな、昔の旅館は天井の高さで刀振りかぶれへんかった言うしな」
「うちん中で虫網は無理やな」
「ほな捕まえよ思たらどうすんがええんよ」
「そら素手やろな」
うへえ、と声のトーンが下がる姉。
「嫌やわ、あたしそんな器用ちゃうわ」
「知らんがな」
「頼むわ、捕まえてーな」
手伝ってから捕まえてに変わってねーか、この女。
「そもそも、なんでカブトムシなんかが姉ちゃんの部屋におったんや」
「大学で扱ったんよ。ほんで、私が持って帰る事になったんや」
「何でや。大学の事や俺よう知らんけど、そんなん研究室で飼っとくもんちゃうんか」
ちゃうちゃう、と首を振る姉。
「授業やのうて、ボランティアや。ボランティアで、大学の近所の子おらと虫捕りしたねんな。ほんで、そこで捕まえたカブトムシ持って帰ってきてしもたんや」
「逃がしゃよかったやろ」
「だって」
と、姉は言葉を溜める。
「かっこええやんか」


 


 知らんがな。


 


 その後も俺と姉の攻防は続いたがハーゲンダッツで手を打った。ハーゲンダッツ。ハーゲンダッツ。真夏の一仕事の後のハーゲンダッツ。悪くない。普段はガリガリ君で済ましている俺にとっては何たるリッチ。しかも二個。
「ほな一階はお願いねー」
俺たちは二手に別れる。姉は二階を探す。俺は一階を冒険する。レッツハント。俺のクエスト、報酬はハーゲンダッツ二個。勇ましく、だが静かに俺は一階を探索する。
 玄関と窓がしっかりと締まっていることを確認してから俺は作戦を開始する。台所、いない。トイレ、いない。ばあちゃんの部屋、いない。死んだじいちゃんの部屋、ひんやりしてる。いない。
 くわわわわと羽の音がする。階段の方からだ。俺の心臓の音がダンスを始めたけど、カブトムシには聞こえまい。
いた。
 俺はターゲットを見つける。階段の下から三段目。こっそりこっそり近く。ほーらほらほら怖くない。右手を伸ばす。
 きゅわわわわわわわんとカブトムシが飛び立って二回へ向かう。何てこった、気づかれちまった。俺は落胆した。後を追って階段を上る。上りきったら通路は一つ、逃げ場はない。袋小路のカブトムシ。
 おや、と俺は首を傾げた。おかしい。おかしな点が二つ。
 カブトムシが見当たらない。これはまあいい。
 姉の姿も見当たらない。これはおかしい。
 あいつはどこを探しているのか。
 姉の部屋の扉をそっと開け、中を覗き見る。
「あ」「あ」姉と目があった。
「何でどうぶつの森なんてやんじょんの」
「いやだってほら、カブトムシ捕まえる練習よ」
「でも姉ちゃん、手にもっとん虫網やなくて釣り竿やん」
テレビの画面の中で、雷雨の中プレイヤーキャラが釣り竿を握っている。
「それはほら、シーラカンス狙いよ」
「二手に別れよう言うたん姉ちゃんやん」
「私は私なりのやり方があるんよ」
何だそれ。
「武蔵流やな」
「相手を焦らすってことか?」
「そうよ。あたしはカブトムシを焦らすんよ」
「無茶苦茶やな」
「そう?」
「ほな俺も真似するわ」と言って、自分の部屋に戻る。
俺はゲームを始めた。
「何しょんの」
姉が部屋に入って来る。
「そらゲームよ」
「カブトムシ探してーや」
「これも作戦の内やで」
ふーん、とこぼす姉。
「僕の夏休みやん」
「せやで」
「これでカブトムシとる練習するんか?」
「そうよ。これでバッチリや」
嘘である。俺はもうカブトムシはどうでもよくなっていた。
「ハーゲンダッツ、三個に増やしてもええで」
俺は返事をしない。木の幹に砂糖水を塗る。


‐‐姉ちゃん、そういやシーラカンス釣れたんか?
‐‐あかんわ、逃げられた。
‐‐ほなもうゲーム切ったん?
‐‐うん。
‐‐なんで、久しぶりにやったら楽しいやろ。
‐‐楽しいは楽しいけど、草ぼーぼーであたしの花壇枯れとってん。
‐‐姉ちゃん花好きやもんな。
‐‐うん。


「階段に砂糖水塗ったらあかんかな」
「大学行って頭おかしなったんか。おかんに怒られるやろ」
「それもそうやなー」
俺の横でaikoを歌う。
「カブトムシや見たん、久しぶりやわ」
「せやろ。珍しいやろ。ほな探してや」
「面倒くさいわ」
姉ちゃん、ちょとパスとコントローラーを渡して俺は一階のトイレに向かう。
部屋の外はうだるように暑い。チャッと用を済ましてザッと手を洗いトットットっと階段を駆け上がる。
「ん」姉からコントローラーを受け取る。


「あ」


「何よ」
「あんたの背中」
 ほれ、と姉はそれをつまんだ。
 その右手には、焦げ茶色のカブトムシ。


 


 ローソン帰りの道すがらで、姉と大学の話をする。
 楽しい? うん。何が楽しいんよ。やっぱ田舎とは違うわ。どんなところが? スーパーが二十四時間空いとる。へえ、でもコンビニやって二十四時間やん。ノンノン、コンビニとスーパーは違うのだよ。一緒やろ。コンビニやと出来合いのもんしか買えんけど、スーパーやったら白菜買えるやん。白菜? うん。何で白菜よ。美味しいやん。せやろか。うん。ふーん。家まで走る? 何で。ハーゲンダッツ溶けそうやん。でも姉ちゃん走るん遅いやろ。確かに。歩こうや。せやな。


 


 俺たちは姉の部屋で、テレビを点けてハーゲンダッツを食べる。結局、俺の報酬は一個になった。やむをえまい。捕まえたのは姉ちゃんだ。二個買って、一個ずつ食べる。
 俺たちの隣では、カブトムシが籠の中で大人しく光っている。


「何、姉ちゃんゲームでもするん」
「うん」
「パワプロやん」
「せやで」
「高校編?」
「ちゃうちゃう」
姉が始めたのは大学野球編だった。
「パワプロってさ」
「うん」
「入学式すぐ終わるよな」
「夏は長いのにな」
「せやな」
「負けるとすぐ終わるけど」
「そうよなー」
よっしゃーオールA目指すでーと姉ちゃんは張り切っている。


 俺は横でそれを見ている。ハーゲンダッツの欠片をカブトムシにちょっとだけ分けてやる。クーラーは涼しい。窓の向こうには入道雲が見えた。


 


 


016 (神様、PSP、ゆがんだ城)<邪道ファンタジー>

 


 神の力を手に入れた。


 造物主にも等しい、この力。私はこの力でもって、我が城を建て直す。
 王国の再建を、ここから始めるのだ‐‐


 あれは、ある月夜の晩だった。私は城(プレハブ小屋)の屋根に上り、星を見ながら酒(パック)を飲んでいた。北極星を見つめていると、夜空を何かがよぎる
のが見えた。流れ星かと思ったが、どうやらどんどんこっちに近づいて来るようである。私はボケっとその物体を眺めていた。
「ホゲッ!」
額に鈍い痛みが走る。思わず、仰向けに仰け反り帰った。
「何だ……?」
辺りを見回し、落ちてきた「何か」を探る。探すというほどなく、それはすぐに見つかった。なぜなら、その物体は片面が自ら発光していたからである。発光している面の左右に、何やら出っ張りがある。縁の方には、「PSP」という線‐‐ないは絵、だろうか‐‐が描かれていた。
「ピロリ!」
「ひっ!」
その物体から音がする。私は、思わず出っ張りの一つを指で押してしまった。
 ドサッ、という音が正面から聞こえた。見ると、何やら正方形の塊のようなものが出現していた。屋根から下りて、その物質の方へと向かう。それは、私の背丈よりは一回りは小さい、立方体であった。
 恐る恐る、手で触れてみる。何の反応もない。傾けてみると、質量はそこまでないようだ。持ち上げてみると、大変に軽く、簡単に持ち上がる。試しに剣(通販で買った包丁)で切りつけてみる。ガキッという音がして、刃が欠けた。


 ‐‐これは、使える……


 そして、私は三時間に及ぶ、城の製作に取り掛かった。
 その「黒き物体」を操作し、必要な資材を生み出す。一体、どのような原理が働いているのかはわからないが、操作すれば様々な立方体が姿を現した。私はその立方体を運んでは積み、運んでは積みを繰り返して、プレハブの小屋をまず囲った。そして壁を作り、三階層までをまず作り上げた。
 私は恐るべき重注力で作業を続けた。酒(パック)の酔いもすっかり覚めていた。私は作業を続け、八階層にまで至る。そして、プレハブ小屋の真上に位置する場所に、最高の玉座を作った。
 ここまでを作り終えて、横から眺めてみることにする。
「あちゃー……」
軸がずれている。作り始めの三階層までと、その後の八階層までとで軸がずれており、歪んでいる。
「まあ、いいか……」
気を取り直し、最上部の玉座に座る。
「これが我が城だ……」
酒(ちょっといいやつ)を飲みながら、北極星を眺める。一仕事した後は最高である。
 この「黒き物体」の力で、王国を再建するのだ‐‐


 その時、黒き物体の明かりが消えた。
「へっ!?」
体が落下する感覚を感じる。
「ぐへえッ!」
ドガっ、という音ととも、プレハブ小屋の屋根の上に落ちる。
 そこで、意識を失った。



 目覚めた時、右手には酒(パック)が握られていた。「黒き物体」は見当たらない。
「夢……?」
私は寝ぼけ眼で北極星を眺める。



 プレハブ小屋(籠城)の夢だったか……。
 私は酒を一口飲み、もう一眠りすることにした。


 


 


015 (神様、化石、真の城)<ホラー>

 


 化石じみた話をしよう。


 これは、歴史が伝説となり、伝説が迷信となり、その迷信すらも風化し、語る人も最早いない、という意味において化石じみている話だ。
 そして文字通り、化石の話だ。


「神様を見たことある?」
M美は僕に尋ねた。
「生憎、ないね」
「そう、信心深くないものね、B君は。死んでも心が痛まないものね、例え神様がいなくとも」
「嫌な言い方をするなよ。僕だって地獄よりかは天国に行きたいぜ」
「あら、あなたはどちらかと言えば『じご〇(まる)〇〇(まるまる)く』に行きそうだけれど、天国に行きたいのね」
「何だよ、ジゴマルマル、マルクって」
「自業自得、略して地獄よ」
「酷い言い様だな!」
「それはそうと、天国に行きたい、と仮にも思っているという事は、神様を見た事はなくとも、信じてはいる、という事かしら」
「そりゃ、まあ一応」
僕だって、全くもって神様と関係が無いわけではない。初詣に行くし、受験と時には天満宮にも行った。


 そう、とM美は小さく呟く。
「面識があるわけでもないのに、勝手に頼られるのも迷惑なものよ」と続ける。


「でも、視覚で確認したわけではないのに、信じている、というのは、偶像を必要としていないとも取れるわね」
「まあ、確かに」
「神様、と言えば、少し話がずれるのだけれど、ピラミッドを見たことはある?」
「テレビとかでならな」
直接、見たことはない。
「そのピラミッドなのだけれど、横から見れば三角形、上空から見れば四角形のピラミッドの形についてなのだけれど」
「上から見れば、視覚的に四角形のピラピッドがどうしたって?」
あら、とM美は意外そうだ。
「私の言葉の続きがよくわかったわね」
まあな、と返しておく。
「でも、三角形の味って味覚ではどうなのかしらね、ってところまでは読めなかったようね」
「読めねーよそんなもん!」
「まあ、何はともかく、そのピラミッドについてだけれど、B君、五稜郭は見たことある?」
「何だよ、話が飛んだな。五稜郭もテレビとかでならあるぜ」
「なるほど、どちらも直接見たことはない、という事ね」
「ああ」
「ということは、メディアでしか目にしたことがないという点において、ピラミッドと五稜郭は互角、というわけね」
「そうだよ! もう六角以上はねえよ、僕の負けだよ!」
ふ、とM美は勝ち誇る。
「そろそろ本題に入るのだけれど、ピラミッドには石室があるそうよ。それも、どの通路にも繋がっていない、孤立した石室が」
「なんだ、よく聞く話じゃねーか」
「これ、不思議だと思わない?」
「何が」
「だって、それならもう、埋めてしまってもよかったんじゃないかしら。空間なく、隙間なく、その部屋まで石をびっちりと」
「そりゃ、まあ」
そうだろうけれど。
「その空間に、意味があったんじゃねえの?」
「例えば?」
「そりゃ、空気吸うとか」
「そうね、B君も空気を吸って吐いているだけの生き物だものね、空間は必要よね」
「人を植物みたいに言うな!」
「でも、植物なら太陽の光が必要ね。石室の中にまでは光は届かないでしょうから、枯れてしまうわ。可哀想なB君」
「僕を植物だと決めつけるな!」
「そして、ピラミッドから話はずれるのだけれど」
「ここまで僕を虚仮にしておいてずれるのかよ!」
「とある日本の城の逸話で、同じく開かずの間があった、という言い伝えがあるの」
「開かずの間?」
「厳密には違うわね。石室と同じように、どの通路にも繋がっていない、孤立した部屋よ」
「ふーん。それで?」
「そこに、化石が祀られていた、という話よ。最も、すべてが言い伝えで、真偽の程は定かではないし、これが作り話であることも否定できないのだけれど」
「化石?」
「ええ。なんでも、その地域の神の一部だった、と言われているわね。」
「何で城の中に祀ってたんだ? それも、誰も来れない場所に」
「人柱、とは少し違うらしいわ。一説によれば、隠れ蓑にしていたとか」
「隠れ蓑?」
「そう。攻め込まれた時に、目立つ所に神様を置いておいて、その神様に危害が加えられないように」
「変な話だな。結局、見つかってしまうんだろ?」
「いいえ。それは分からないわ。これは言い伝えよ。それも、真偽が全くわからない類の」
「何だ、そりゃ。つまり、神はいなかったて事か?」
「いいえ。実際にはここにいるわ。私たちが今、話に取り上げているんだもの」
僕はM美の真意を測りかねる。
「あら、偶像崇拝が全てではない、とB君自身も思っているのでしょう? なら、偶像崇拝ではなく、お話だけで存在する神を言うのもありだと私は思うわ」
そうだろうか。
「つまり、実際にその部屋があったかどうではなく、その疑惑が神の存在理由、ってことか」
「ええ」
S美は頷く。
「なんとも、納得のしにくい話だな」
「あら、そうかしら」


「私たちだって普段、心はあると思っているけれど、それを直接目で見たことはないわ」とS美は笑う。


 まあ、確かに。
 僕も、この目でピラミッドも五稜郭も見たことはないが、その存在を信じてしまっている。
 ならば、見たことはないものも含めて、世界は出来ている、のかもしれない。


 


014 (北、終末、輝く殺戮)<ホラー>

 


 蝋燭の火を噴き消すと、聴力が鋭敏化した。


 階段を、ゆっくりと登ってくる足音がする。私は汗ばんだ手で、銃をより強く握りしめた。その音はまだ一階いから二階へと続く階段の途中であろう。方や私は三階にいる。この屋敷にこれ以上の階層はなく、階段も一つしかない。必然、その音から逃げるには、どこかですれ違う事になろう。私は、何としてもこの屋敷から逃げ出さねばならないのだ。



 あれは、雨の日の夜だった。私が叔父の遺品整理をしていた時の事だ。叔父の日記の中に、生前、叔父が避暑地として使用していた北の別荘の記録を見つけた。そこには、叔父が何かを大切に保存しているかのような記述が見られた。しがない物書きであった私は、何かの話の種にでもなればと思い、翌週の土曜日に車で叔父の別荘に向かったのである。


 別荘にたどり着いた時、私は奇妙な感覚に囚われた。しかし、その正体にすぐ気づく事となる。その別荘が、叔父一人が過ごすにしては大きいのである。木造三階建てという大きさを、どうして叔父は必要としたのだろうか。もしかしたら、日夜、友人を招いてパーティでも催していたのかもしれない。私は叔父の遺品から持ち出した鍵を取り出す。別荘の鍵は別種のものを二つ取り付けた二段構えである。空き巣に備えたものであろうか。別荘の中へと入ると、当然ようのように真っ暗である。持ってきた懐中電灯で照らすと、右端に階段、左にテーブル、中央に動きを止めた柱時計が目に入る。その奥には、キッチンがあるようだった。とりあえず、キッチンまで向かう。至って普通のキッチンだった。包丁やまな板、食器類がきちんと整頓されている。それらの多くは埃をかぶっていた。棚を引くと、蝋燭とライター、それに調味料の類がある。壁面を照らすと、ブレーカーが見える。オンにしてキッチンのスイッチを押してみたが、部屋の電気は点かなかった。
 さて、上の部屋へ向かうか、と思った時、途端に真っ暗闇になる。ひっ、と年柄にもなく小さく悲鳴をあげてしまったが、どうやら懐中電灯の電池が切れてしまったようだ。生憎あいにく、換えの電池は持ってきていない。とりあえず、皿とライター、それに蝋燭を拝借し、灯りとすることにした。蝋燭を倒してしまわないように、ゆっくりと歩く。一歩踏み出すたびに蝋燭の炎が揺れ、揺れによって光と影が瞬く。先ほどのテーブルと置き時計の部屋が、懐中電灯で照らした時とは違い不気味に感じられた。階段を上ると、鈍い音が足元からする。木造だからであろう、その音は、大きく木霊する。年甲斐もなく、心臓の鼓動が早くなっている気がした。
二階には、部屋が一つだけであった。ベッドが二つ、それに押入れが一つ。押入れの中には、幾つかの布団と枕がしまわれていた。それら以外、特に変わったものもない。窓が一つ取り付けられていたが、当然のように閉められており、錠前は埃をかぶっていた。
 ついで、三階へと上がる。三階には、テーブルが一つ、その上に、ノートが一冊置かれていた。そのノートを開き、蝋燭の灯りで読む。特にこれといった記述はない。所々に、若者がふざけて書き置きした描写があった。どうやって侵入したのかはわからないが。
 その時、階下で音がした。何かを落とすような音だ。心臓の鼓動が早くなる。蝋燭の火が揺れた。ノートをと閉じると、裏表紙に気になる描写を見つけた。気をつけろ、と。ぎし、と亀が歩くような速さで階段を上る音が聞こえて来る。私は音を立てないように、階段まで戻る。何も姿は見えない。どうやら、音は一階から二階への通路から聞こえて来るようだ。壁に手をやると、指先が冷たい物に触れた。何かが音を立てて落ちる。目を向けると、それは拳銃であった。どうして叔父は拳銃など持っていたのか? そして、なぜ壁に引っ掛けていたのか? 分からないことだらけであった。音はより近づいてくる。私は、蝋燭の炎を吹き消した。
 拳銃を握りしめる。いつの間にか、手が汗ばんでいた。
 音は、より大きくなる。どうやら、二階から聞こえて来るようだ。呼吸を整える。いまのうちに降りようか? いや、音でばれてしまうだろう。私は、トリガーの位置を確かめた。音は三階へと続く階段の下まで来たようだ。私は息を殺す。そして、中空に向けてトリガーを引いた。
 カチ、と空音がした。弾は出ない。
 弾が、入っていなかった。確認を怠った自分を恨む。心臓の音が、その何かに聞こえていやしないかと気が気でない。音はもう、階段の半ばに達しようとしている。私は思わず、拳銃を放り投げた。音が止まる。
 私は恐怖のあまり、階段を転げるように駆け下りた。車に乗り、エンジンをかける。そして、自分の家へ帰ったのであった。


 今となっては、あの体験が何であったのかわからない。それに、あの別荘にはこれといったものは何もなかったが、叔父が日記の中でなぜ思わせぶりな記述を残したのかもわからなかった。もしかすると、叔父が誰かをはめるために仕掛けたあまりにもたちの悪い悪戯だったのかもしれない。


 何のためかは、今となっては知る由もない。


 


013 (夕陽、屍、人工の記憶)<邪道ファンタジー>

 


 今日もこの手が血に染まる。



 茜色の夕陽に照らされて、PD-5503号は佇んでいた。いつから自分がここで「仕事」をしているのかも覚えていなければ、なぜここにいるのか、それに自分の名前すら、覚えてはいなかった。記憶にあるのは「PD-5503号」という自分に与えられた番号ナンバーのみ。彼は記憶を持っておらず、しかし何をしなければいけないのかは機械神経(シナプス)に組み込まれていた。


 辺りを見回す。山、山、いくつもの人体が連なり、屍の山を作っている。それらをひっくり返しては耳を探り、目的のものが見つからなければ放り捨てる。この一連の作業を毎日のように繰り返す。辺りを見渡せば地平線が周囲に広がっている。大地を埋め尽くすかのように、そこは屍で溢れていた。死体を探り、また投げる。PD-5503号はこの作業を繰り返し続けた。腹が減ることはないが、夜は「眠る」。「眠る」ことで、昼間の間に蓄えた太陽エネルギーをバッテリーに充填し翌日の活動に備えるのであった。


 PD-5503号には記憶がない。より正確に言えば、本来、ヒトが誕生してから現時点までの記憶のうち、現時点の記憶以外が抜け落ちている。記憶の原点に近づこうとしても、ブロックがかかったかのようにアクセスできない。靄が一層濃さを増すかのようであった。そのため、彼の記憶はここで始まる。いま思い出すことができる始まりの記憶は、一人の男の、耳を太陽にかざしている風景シーンであった。その男をどこで見つけ、どこで放り上げたのかまでを彼は詳細に記憶している。しかし、なぜ耳を探しているのかは理解わからない。よって、彼の記録装置メモリーに溜まっていくのは死体の場所と、その耳の情報だけであった。


 とある雨の日の事である。彼はいつものように死体を探り、耳を探っては死体を放り投げる事を繰り返していた。それは一人の女の死体であった。彼がその耳を見たとき、いつもとは違う異変に気付く。
 耳に、何か書いてある。耳に、文字列が書いてあるのだ。
 6602‐‐
 それは、数字であった。
 そして、彼の意識はそこで途切れる。


 


「おはよう、PD-5503号君」
 サングラスをかけた男が彼に話しかけた。いつの間にか、周りに死体はなく、無機質な部屋にいた。
「早速だが、数字を覚えているかね?」
 PD-5503号は返事をしない。
「まあ、混乱しているのは無理もない。悪いようにはしない。ただ、数字を教えてくれればいい。あれは重要な断片フラグメントなのだ……」
 男はそう尋ねた。
 PD-5503号は、何となくではあるが、理解した。それは重要な数字であると。そして、PD-0053号は応えた。
「5143」
男は微笑んだ。
「そう、ありがとう」と言い残し、男は部屋を出て行った。
 PD-5503号は嘘をついたが、なぜ嘘をついたのかは彼自身にもわからない。しかし、その断片フラグメントとやらが、自分の記憶の重要な鍵キーになるのだという感覚だけが彼にあった。


 サングラスをかけた男が戻ってきたときには、もうPD-5503号の姿はなかった。


 彼は、自らの記憶を求めて、旅に出かけたのである。


 


 


 


012☆(砂、迷信、嫌な可能性)<童話>

 


『行商のロレンス』


 


 砂漠を旅する時には気をつけなさい。あなたの背後から過去がやって来る。


 


 私の村では、十六歳になる歳の夏至に聞かされる話がある。十六を超えると成人として扱われ、一人でも村を出ることが可能になる。それまでは、父に連れられて都への行商に何度かついていくことがあっただけだ。危険だからだと思っていたのだが、どうも違うらしい。危険の指す意味が、私と話される内容とで異なっていたのだ。
「砂漠では、決まった道のりから外れてはいけない。迷うからではない。道から外れることは、人生から外れることを意味する」
 長老の言葉だ。曰く、ルートは行き先までに迷わないためや最短距離のためではなく、安全を期してそのルートが取られているのだ、と。もし道から外れてしまった際は、決して振り返ってはいけないし、立ち止まってもいけない。そうすれば、いずれ道に戻れるだろうと。


 


 そして、私はその掟を破ってしまう。あれは十八の夜の事だ。私が一人で夜の砂漠を渡っていた時のことである。
 月明かりが辺りをサファイアブルーに照らす晩、私は村への帰りを急いでいた。都へ行商へ赴いて帰る道すがらのことである。本来、その道のりは地図上では直線距離にして半刻もないのだが、「決められたルート」では大きく迂回、さらに蛇行し、四倍以上時間のかかるものだった。私はその日の稼ぎが予想していたよりも多く慢心していた。何より、生まれて間もない我が子に早くあいたかったのだ。
 私は掟を破り、砂漠を都から村へ直進するルートをとった。暫くは「決められたルート」通りに進んだ所で、その、道程から外れるポイントがある。僅かばかり逡巡したものの、私は一歩を踏み出した。
 幸い、今宵は満月である。月の祝福が得られんことを祈りながら。


 


 村まであと半分を切った頃であろうか。私は異変を感じた。砂漠そのものは普段と変わらないのであるが、何かがおかしい。そして、私は違和感の正体に気づいた。


 


 背後から、風音に雑じって声が聞こえてくる。私は今日は一人で行商に赴いたのだ。はるか遠くの隊商の話し声を、風が運んできているのだろうか。
 しかし、その声はだんだん近づいてくるのであった。私が歩くよりも速く、その音は近付いてくる。私は思わず振り返った。


 


 そこには、影があった。月明かりに照らされた、私の影だけがそこにはあった。


 


 人影はどこにも見えない。辺りを見渡しても、地平線がどこまでも見渡せるばかりで、時折舞い上がる砂埃の他は、動くものなど何もなかった。頭上を見れば、月が煌々と砂漠を照らしていた。私は再び歩き出した。しかし、また声が聞こえてくるのである。私は再び振り返る。


 


 そこには、影があった。私と同じ背丈ほどで、立ち上がりこちらを見つめている影があったのである。月明かりに照らされて生じた私の影は、まっすぐに立ち上がりこちらを見つめているように見えた。私は影を見つめたまま、左足を一歩引いた。すると、影は右足を一歩前へ出す。
私は踵を返し、村に向かって歩き続けた。再び声が聞こえてくる。それらは、聞き覚えがあるものであった。
ガッサンとの喧嘩、アーレフの説教、ジャティビヤとの別れ、父との死別、サマルとの語らい、そしてカディージャの産声‐‐


 


 突如、膝が折れてしまいそうになる。その場で蹲ってしまいそうになるが、なんとか踏みとどまり、前へと進む。声はより大きくなり、影は私の耳元でより強く囁くようになった。私は堪えるのに必死であった。、
だが、やがてその声もおさまった。影は私を追い越し、数歩先を歩くようになる。私が立ち止まると、影も立ち止まった。そして、手を振って、こっちだ、と合図のようなものをする。私は影についていくことにした。
いつの間にか、私は村の端に立っていた。はっとして振り返ってみても、そこに立ち上がった影は居ない。自分の足元にはしっかりと影があり、私から背後へ、砂漠へと伸びていた。空を見ると、南天から少し傾いた月が、静かに私を照らしていた。


 


 翌朝、長老に昨夜の出来事を話した。掟を破ったことを咎められるのではないかと思ったが、長老は私を罰することなく、むしろ柔和な表情で語りかけた。
「それは過去じゃ、お主の過去じゃよ」と長老は言う。
「砂漠で道を外れるとな、過去がそなたを追いかけて来る。恐怖じゃ、道を外れる恐怖じゃよ。その恐怖が、過去を呼び覚ます。文字通り、過去が追いかけて来るんじゃ。人はそこで立ち止まってしまいそうになるが‐‐」
 事実、立ち止まってしまい過去に囚われ、帰って来なくなる者もおるが、と長老は続ける。そして、広大な砂漠の地平線の彼方を見つめながら言った。
「それでも前へ進むんじゃ、過去と向き合い、過去を認め、過去を背負って、時に過去に導かれながら、それでも人は前へと進むんじゃよ、ロレンス」
 長老はそう言った。


 


 長老の見つめる先を、私も長老とともに見つめた。そこには、どこまでも続く砂漠があった。


 


 この村には、長老がいる。サマルもいる。父が生まれ、死んだ場所であり、そしてカディージャもいるのだ。私は再び、都へ行商に行くことだろう。


 


 私は明日も、この砂漠を越えていく。


 


 


三題噺のリスト

小説を書く練習として、三題噺を書いています。


三題噺についてはこのブログと、小説家になろうの方にも投稿しております。 


楽しんで頂けたなら幸いです。


 


最新から二つ


031 (黄昏、化石、先例のない遊び)<指定なし> - 三題噺の練習帖


032 (雪、テント、消えた記憶)<学園モノ> - 三題噺の練習帖


 


以下、27番までは小説家になろうにも投稿しています。


001 (虹、クリスマス、ぬれた高校)<SF> - 三題噺の練習帖


002☆(森、地平線、輝く枝)<ホラー> - 三題噺の練習帖


003 (緑色、迷信、激しい存在)<指定なし> - 三題噺の練習帖


004 (暁、矛盾、真のメガネ)<邪道ファンタジー> - 三題噺の練習帖


005 (夜空、鷹、おかしな時の流れ)<ラヴコメ> - 三題噺の練習帖


006☆(入学式、悩みの種、意図的な廃人)<悲恋> - 三題噺の練習帖


007☆(楽園、テント、ねじれた恩返し)<サイコミステリー> - 三題噺の練習帖


008 (暁、残骸、輝く魔法)<ミステリー> - 三題噺の練習帖


009 (青色、少女、最速の才能)<指定なし> - 三題噺の練習帖


010 (春、橋、真の脇役)<童話> - 三題噺の練習帖 



011 (宇宙、機械、人工の魔法)<王道ファンタジー> - 三題噺の練習帖


012☆(砂、迷信、嫌な可能性)<童話> - 三題噺の練習帖


013 (夕陽、屍、人工の記憶)<邪道ファンタジー> - 三題噺の練習帖


014 (北、終末、輝く殺戮)<ホラー> - 三題噺の練習帖


015 (神様、化石、真の城)<ホラー> - 三題噺の練習帖


016 (神様、PSP、ゆがんだ城)<邪道ファンタジー> - 三題噺の練習帖


017☆(入学式、虫アミ、家の中の大学)<ギャグコメ> - 三題噺の練習帖


018 (天国、風船、最速の主従関係)<ラブコメ> - 三題噺の練習帖


019 (南、蜘蛛、正義の剣)<王道ファンタジー> - 三題噺の練習帖


020☆(部屋、虫アミ、燃える記憶)<アクション> - 三題噺の練習帖


021 (空気、コーヒーカップ、最高の罠)<ホラー> - 三題噺の練習帖


022 (風、テレビ、穏やかな運命)<指定なし> - 三題噺の練習帖


023 (晴れ、告白、消えたトイレ)<王道ファンタジー> - 三題噺の練習帖


024 (砂漠、息、ぬれた可能性)<ギャグコメ> - 三題噺の練習帖


025 (曇り、目薬、最後の大学)<SF> - 三題噺の練習帖


026 (灰色、妖精、穏やかなメガネ)<大衆小説> - 三題噺の練習帖


027 (島、十字架、最初の才能)<偏愛モノ> - 三題噺の練習帖


028 (夏、残骸、危険な関係)<ホラー> - 三題噺の練習帖


029 (入学式、死神、人工の可能性)<悲恋> - 三題噺の練習帖


030 (島、目薬、最高の可能性)<ホラー> - 三題噺の練習帖


031 (黄昏、化石、先例のない遊び)<指定なし> - 三題噺の練習帖


032 (雪、テント、消えた記憶)<学園モノ> - 三題噺の練習帖


 


 


011 (宇宙、機械、人工の魔法)<王道ファンタジー>

 


 その昔、魔女は箒で空を飛んだらしい。


 かつての魔女も、月を目指して飛ぶことはあったのだろうか、と私は太古に思いを馳せる。
 私はいま、宇宙船に乗っている。月の裏側を目指す旅だ。


 その昔、魔女はかぼちゃスープやぶどうのワイン、それに無花果の花といった自然のものを愛し、敬い、大地と共に生きていたという。
 魔女は常に、言葉と共にあった。それは筆記された文字というよりも、音そのものを重視していた。言い伝えにはこう記されている。
 魔女の教えによれば、筆記された文字というのは音を閉じ込めたものに過ぎず、その力は失われている、と。しかし、音を伝達するという点において文字は大きな役割を果たす、とも。音の発音方法が分かれば、魔法は他者が使用することも可能である、と。
「それで、この文字、か……」
私の手には、一枚の古ぼけた羊皮紙があった。文字が刻まれているが、私には読むことはできない。
「それじゃ、頼むよ‐‐」と、その紙を宇宙船の中央にある読取装置(スキャン)に読み込ませた。


 ‐‐種別、判別完了。音、再生します‐‐


 両隣に並んだスピーカーから、高音の、しかし非常に心地好い歌声のようなものが流れ始めた。
「いい歌だ」と私は呟き、珈琲を入れにいく。
 魔女はその音を、精霊から教わったという。彼女らは聴力が非常に発達しており、精霊の声を聞くことができたらしい。曰く、世界の音が聞こえるのだ、と。


 十年ほど前のことだ。その音を、再生可能にするデヴァイスが発明された。それは読取装置(スキャン)と呼ばれ、魔法の音を喉を通してではなく、一度電気信号に変換して再生するというシロモノだ。
 十年が経ち普及が進んだとはいえ、依然として安くはない装置だ。手に入れるのには苦労した。


 この読取装置の特徴が、その読み込む紙にある。魔女狩りで魔法の漏出を恐れた魔女たちは、一つの工夫をした。文字の形だけでなく、書かれる物質との関係性で魔法の音を記録したのである。
 羊皮紙に筆記するのと、葉っぱにする記録、また土や大理石に記録した文字では、それぞれ再生される魔法は別物になる。
 材質と文字の形で音を構成することで、彼女たちは魔女狩りから秘密を守ることに成功したのだ。
「今や、それが機会に読み取れるなんてね」
‐‐もっとも、まだ私には全然読めないんだけれど。
 私はそれを心地好い歌声として楽しみながら、珈琲を飲む。魔女は紅茶ではないか、と出発前の準備で思ったものの、私は珈琲のものが好きだった。かつて、魔女の血を持つおばあちゃんもこう言っていた。
 心に従いなさい、と。
 だから私は自分の心に正直に、珈琲を選んだ。魔女の教えを忠実に守る私。


 珈琲を飲み終わる頃には、ラストのサビも終わりかけだ。本当はサビも何もないんだろうけど。
「で、これが‐‐私の待ち望んだ、月の裏側の地図」
 空中に、蛍色の光で描かれた地図か浮かび上がっていた。
 魔法は音を媒介とするために、空気中で効力を持つ。今回私が読み取った魔法は、地図を音に変換したもので、再生するとまた地図に再変換するものだった。
「いま覚えとかないと、月面上では見れないからね」
 そう、空気を媒介するために、真空に近い状態では、音の伝達が弱まる。全くの魔法が不可能な訳ではないのだが、その効率は落ちる。特に、このような広大な地図を記録したものにおいては。


 私はある一点を探す。月のクレーターの一つ、その中心に近い地点。
「母さんの話によればここなんだけど……」
 地図上では、なんの変哲もない場所である。しかし、私はそこを目指して旅をしている。


 なんでも、父さんと母さんが新婚旅行に来た際、そこにある秘密を埋めたらしい。私はそれを確かめに行く。
 父さんも母さんも亡くなったけど、どうしても気になったのだ。二人は一体、何を埋めたというのだろうか。



 私は期待と不安に胸を膨らませながら、その場所に向かった。


 


 


 その場所には骨と箒が埋められており、それに喋るハムスターなんかもいたりして、宇宙の半分をまたにかける物語が始まるのは、まだ少し先の話だ。


 


 


 


010 (春、橋、真の脇役)<童話>

 


 僕は、生まれ変わったら、この葉っぱになりたい。
 T君は、そう思いつきました。


 T君は、橋のたもとで待っています。
 橋の向こうから、春が来るのを待っています。
 でも、T君は飽きてしまします。
 春を待つのをすぐに飽きてしまいます。


 T君は、とてもせっかちなのでした。


 T君は思いました。
「どうして春は、すぐに来てくれないんだろう」
 T君は、クリスマスはが来た後は、残りの冬は全ておまけと思うような男の子でした。


 T君は、春が大好きです。
 それは、桜やつくしが大好きです。


 でも、何よりも、大好きなのは桜餅でした。
 美味しいあんこ、綺麗な桜色、そして、何よりも塩っ気のある葉っぱがたまりませんでした。


 そして、彼は思います。
 桜餅には、この葉っぱが欠かせないと。


 僕も、大きくなったら桜餅の葉っぱみたいになりたい。
 一番ではなく、二番目。


 絶対に欠かせない二番手になりたいと、春を待ちながら、T君は思いました。


 


 


009 (青色、少女、最速の才能)<指定なし>

 


 


 月までの距離、三十八万km。
 心の中でそう呟いて、私はハンドルを握りしめた。手袋の中が湿っている。武者震いなのだ、と自分自身に言い聞かせた。
 発進の前はいつもこうだった。集中のあまり、周囲から音が消え去り、却って集中力を削ぐ結果となる。いつになったら慣れるのだろうかと思う反面、地球に生まれ地球で育った者にとってはこの高揚感と不安は感じて然るべきなのだろう。
 集中力を少しクールダウンさせるため、目を瞑る。集中することは大切だが、集中しすぎては視野が狭くなる。それはハンドルを握る者にとって命取りだった。特に、このようなレースにおいては。


 頭の中で、呼吸を数える。四秒吐いて、四秒吸う。師匠から教わったものだ。このルーティンを繰り返して、試合前の集中の度合いをコントロールする。
 このルーティンに余裕があったなら、それは集中力が欠けている。数える事に必死だったなら、集中しようとしすぎて焦っている。数を数えながら、珈琲を飲めるぐらい。そのぐらいが、私にはちょうど良かった。
 呼吸することで、私が地球の大気圏内にいることを確認する。耐圧ボトル入りの珈琲を飲むことで、大地に生かされていることを自覚する。砂糖をたっぷり入れた、特製珈琲である。極度の集中状態を維持するこのレースでは、糖分はいくらあっても足りないということはない。


 もうじき、レースが始まる。右にも左にも、対戦者の機体の姿はない。世界各地からスタートするため、このN市からの参加者は私一人だけだった。スタート地点こそ違うものの、ゴール地点は一つである。南極大陸、D地点。そこがこのレースの終着点だ。
 月の裏側を回り、ターンして、南極まで帰ってくる。
 私は今回もまた、一位を目指す。
 毎回、レースの度にプレッシャーに押し潰されそうになる。これまで三度、連続優勝を決めているが、次も勝てるかはわからない。負けたとしても、次世代指導者の道はあるし、これまでの賞金で食べていくことは何も問題はないだろう。しかし、私は自分自身の限界に負けたくなかった。スポンサーの応援も嫌いではなかったし、彼らが私につけたあだ名も気に入っていた。


 あと一分で、レースが始まる。残っていた耐圧ボトル入りの珈琲を一気に飲み干す。ついで、カウントダウンする。あと五十秒。おかしなものだ、と私はこのレースの度に思う。亜光速を目指して製造されているこの機体は、十秒で月まで達し、二〜三秒でターン、そして十二秒で南極へ。残りのカウントダウンよりも短い時間で月まで行って、私は南極まで帰ってくる。まるで冷やかしだ、と思う。
 ある人は莫大な金をかけたピンポンダッシュみたいなもんだなんて言うけど、言いえて妙だと私は感じたものだ。
 あと三十秒。母はよく言っていた。血筋ね、と。私の曽祖父は競馬の騎手で、曽祖父のお兄さんは競艇選手だったそうだ。祖父は峠の走り屋で、祖父の弟は自動車メーカーに勤めていた。
「宇宙の走り屋はこの家からは初めてじゃの」
なんて祖母には言われる。その度に、そりゃそうだよおばあちゃん、時代が違うもの、と返している。


 あと十秒。眼前のモニターを見つめ、ハンドルの握り位置を確認し、背中をシートに預ける。
 ……五、四、三、二、


 ゴッ! という轟音と共に、凄まじいまでの重力で大地へと引っ張られる。次の瞬間にはもうその重力を感じず、モニターは真っ暗。月へと一直線の最中、他の機体が見えた。
 他の機体が隣にいる。いつも麻痺しそうになる。今は亜光速。すぐに月に着く。
 月が見える前から、ターンにハンドルを入れておく。そうしないと、月の向こう側遥か遠くまで飛んで行ってしまう。
 グギギッという感覚と共に、モニターに月の裏側が映る。私はこれから地球へ帰る。


 月を横目に、地球へと向かう。モニターを確認し、南極へと座標を調整するためハンドルを上に切った。


 この時、月を横切る際の私の写真から、私の二つ名が着いた。あまりの亜光速のために捉えきれず、ぼやけたシルエットと青い光からつけられたものだ。



 最速の青い兎。



 私はこの名前を気にっていた。青い兎は地球へ帰る。



 地球の大気圏に入る絵に、速度は調整する。そうでなければ南極に激突してしまうだろう。
 機体が重力に捉えられる。あとは惰性と、思いっきりブレーキを踏んだ。


 グギャッ! とハンドルを上げ、私は機体の姿勢を操作した。


 フシュウウゴリゴリゴリゴリグギャッ、という音で、私は機体を着陸させた。


 一位かどうかはまだ分からないが、自身はあった。いま、自分の周りには誰もいない。取材クルーは安全を期して、三〇km以上離れた場所に待機している。



 レースが終わるたびに、一気に疲れと、充足感が私を襲う。
 今回もまた、無事に地球に帰ってこれたのだ。



 私はいま、砂糖をたっぷり入れた熱々の珈琲を飲みたい。


 


 


008 (暁、残骸、輝く魔法)<ミステリー>

 


 


 昔、とある魔法使いがいた。


 その男は、とある国の王に頼まれ、ある大規模な魔法を仕掛けた。王の依頼は以下のようなものだった。


 この国の偉大さを、未来に可能な限り、末長く伝えたいと。


 王は文書では駄目だと言った。いずれ、次の権力者に燃やされるか書き直されてしまう、と。
 また、建造物でも駄目だ、いずれ風化する、とも。
 それらを防ぐために、魔法で何か出来ぬか、と王は言う。
 男はその仕事を引き受け、その国中に魔法を仕掛けた。文字通り、その巨大な帝国の、大陸の西から東に至るまで、支配領域を隅から隅まで回りその魔法を二十年かけて仕組んだ。


 その魔法の完成間近、王は亡くなり、また魔法使いも魔法の完成後まもなく亡くなった。


 



 その偉大な王国の勢力範囲を、今でも確認する方法がいくつか存在する。
 その王国がかつて存在していた場所に、暁の光が斜めから差し込む時、王国のかつての風景が蜃気楼のように浮かび上がるのである。
 その大きさのほどは、遥か上空から、今でも確認できるということである。


 


 


007☆(楽園、テント、ねじれた恩返し)<サイコミステリー>

 


 


 G県の郷土資料より抜粋する。


 幕末から明治、そして大正に移行する過渡期の記録。
 とある地方で起きた殺人事件と、事の顛末の一部始終である。


 


 


 宿屋の主人に対する取材記録、冒頭


 彼は義理堅い男でありました。
 彼を知る者の多くは、その薄汚い格好を忌避し、罵り、軽蔑の念を向けるのが普通なのでありましょうが、私はそうはいかないのです。
 彼を軽蔑してしまっては、私は今こうしてあなたに事の真相を事細やかに伝える事も敵わなかった事でしょう。それどころか、今時分はおそらく牢の中でむさ苦しい者達と饅頭詰と相成り、我が家で眠る事もできなかった事でしょうから。
 しかしながら、私は怖くて堪らないのです。いつそれが襲ってくるのか、私にはとんと見当の付けようもないのですから。斯の様な肝心な事を家内にも話さずにいる事は一体どういう料簡でいるのかと世間様からは責められる事もありましょうが、事が事であるがために、話すことが出来ないのであります。
 それでも此度、貴方様に話そうと思いましたのは、私の弱さが為せる業でありましょう。私はもう怖くて怖くて堪らず、誰かに話してしまいたいのです。貴方様はもしよければ雑誌の記事にさせて欲しいとの事で御座いますが、一向に記事にしてもらって支障ありません。ただ、私と私の妻、それに彼の素性については伏せて於いて欲しいのであります。此の世のものならざる類には、そのような配慮をしても無駄な足掻きであるのかも知れませぬが、彼は斯う言っていたのです。


 折るという字と祈るという字は似ています。もし祈る際に人が言葉を使うのならば、その言葉は猿の手に届くかも知れませぬ。努努、言葉に気をつけなされ、と。


 


 


 宿屋の主人の証言より 六月十日について


 その日は、新月の夜で御座いました。私が火の元の確認を済ませ、床に就こうとしていた時分の頃に御座います。戸口の方から、何やら声がするので御座います。初めは犬か猫でも鳴いておるのではと思いましたが、何やら「おーい、おーい」と人の声がするので御座います。蚊の泣くような、小さな声でありました。
「何か」と尋ねますと、「一晩、泊めて欲しいのです」と、男の声が致しました。私が戸を僅かばかり開けますと、顔の辺りが青黒く鬱血した、一人の子男が蹲うずくまっておりました。私は驚き、
「どうしたのか」と問いますと、
「盗人に襲われた」と答えます。
そのまま店の前に放って置くわけにもいきませんので、店の中に引き入れ、再び戸に錠をかけました。
 ひどく衰弱していたように見えましたから、偶然たまたま空いていた座敷へ寝かせ、家内に水を持ってきてもらいました。男は水を一気に飲み干し、腹を空かしているように見えました。その日はもう火を落としていましたので、漬物と酒を持ってこさせました。
 男は漬物には手を着けましたが、酒はちらりと見遣るばかりで、呑もうとは致しません。
 訳を聞くと、
「酒は、私共にとっては神聖な商売道具だ」
と答えました。
 私は不思議に思いました。商売道具であるなら、この男は酒屋か酒蔵であろうか。そうであるなら、なおのこと、酒を呑まねばその善し悪しは分かりますまい。しかし、男は
「それに、金を持っていないから」と付け加えました。私は再また驚きましたが、先程男が言ったことを思い出し、
「盗人に盗られたのか」と聞くと、
「そうだ」と男は申します。
 私の顔色を見て取ったのでしょう、男は慌てて、こう申します。



 受けた恩は必ず返す、と。



 私は些か、その言い回しが奇妙に思えたのです。暫し逡巡して、私の方から男に聞き返しました。
「金は、いつなら払えるのか」と。
 私は奇妙な点に思い当たり、そう聞き返しました。恩も何も、金なら払える時に払ってもらえれば好いのです。私とて怪我人を取って喰うような鬼では御座いませんので。
「払える時に払ってくれればいい、私は宿屋だ、盗人に襲われた怪我人から直ぐに金を取り立てようなどどとは言わない、ゆっくり休め」と付け加えて。


 男は頭を下げ、手を畳について、私に礼を言いました。
 随分と畏まった男だな、と私は感じました。いえ、男が礼を言うことには幾分の奇妙な点も御座いませぬが、その一挙手一投足が、えらく律儀なので御座います。
 戸口にて会った時には夜間のため薄暗く、顔を見ていたがために気にしておりませんでしたが、この男、大変に汚らしい身なりをしておりました。私の、とある形での恩人でもある手前、斯のような言い分もどうかとは私自身も思いますが、その男の着物は襤褸ぼろと言って差し支えなく、衣服と云うよりも布で御座いました。
 そのような身なりと、男の慇懃な振舞いとが、えらく不一致でありました。
 何はともあれ、ゆっくりと休むように伝え、私も漸く床に着いたので御座います。


 


 


 六月十一日について
 宿屋の主人の弟に当る、呉服店を営む男の証言、牢内にて聴取



 何だってんだよ、何の用だってんだ? 事件はもう解決したってのに、俺に何を聞こうってんだ?
 あの馬鹿兄貴との関係性について聞きたい? もうこの前に話してやったろう?
 何? 調べの記録のために必要だあ? 知らねえよ、んな事。俺をこっから出したら話してやんよ。それは出来ない? 話した後、調べの記録が終わり次第、出してやる? それはいつぐらいになるんだ?
 何? 五日後? 巫山戯ふざけた事吐ぬかしてんじゃねえぞこの野郎。いいからさっさとこんな辛気臭い所から出せってんだ。何? 話すまで帰らない? 知らねえよ、そんな事。
 話さないと記録が終わらないからずっと牢屋の中? 巫山戯た事ばっか言ってんじゃねえぞ!
 あーあー、わかったよ、話してやんよ、何回でも。



 あれは六月十一日の朝の事だ。御天道さんの気持ちい好い日だっだよ、ありゃあ。こんな湿った牢屋ん中と違ってな。
 知っての通り、俺は呉服屋だ。見りゃ分かんだろ、この服をよ。こんなとこにずっといたら俺の服が駄目んなっちまう。安かねえんだぞ畜生。
 で、そうそう、朝だ、その朝だよ。大黒屋んとこの番頭が来たんだよ、うちの店に。そう、二丁目の金貸だよ。こんな朝早くから何の用かと思ったね。大抵、手形の話すんのは昼過ぎてからだからな。で、
「最近、お前のとこの弟に会ったか」なんて聞くんだよ。
 会ってるわけねえだろ、兄弟仲悪いんだから。はっきりそう答えてやった。そしたらよ、
「お前んとこの弟が、筋もんを匿ってる」なんて吐かすんだよ。


 俺は笑い転げそうだったね。あの糞真面目な兄貴が筋もんを匿ってる? ありえないと思ったね。御天道さんがひっくり返ったってありえやしねえさ。
 ところが番頭が言うんだよ。
「お前の弟のそんな評判が広まれば、お前の呉服屋の評判が落ちる。そうなれば引いてはお前と取引をしてる大黒屋の評判も落ちる」
なんて吐かすんだな。


 そんな事、俺の知った事じゃねえ。兄貴がどうしようと勝手だ。それに大黒屋がどうなろうが構いやしない。
 でもな、金の流れが途切れんのは困こまんだよ。別に金貸しは大黒屋だけじゃねえし、他の金貸しと商売したってそれでいいんだ。でもな、時期が悪かった。大黒屋はな、客抱えてんだよ、お偉いさんと、それに米里軒の奴らをな。そいつらとと、呉服を何枚か卸すって取り付けたばっかなんだ。それがお釈迦んなんのは御免だ。仕方ねえから行ったよ、兄貴の宿屋にな。



 兄貴、店の前に水撒いてやがったよ、阿保面下げて。丁稚に任せりゃいいのによ。
「おう、久しぶりだな」なんて言いやがる。出来れば会いたかねえけどな。
 とっとと話に入りたかったから、直接聞いてやったよ、兄貴はいま筋者とつるんでんのか、ってな。
 そしたら兄貴、きょとんとした顔して、そんなわけないだろう、って言うんだ。まあそうだろうなって思ったね。


 でもな、言った後、兄貴が顔色変けえたんだよ。


 俺はピンときたね。こいつあ何か隠してるって。
 俺はさっさと話を切り上げて、兄貴と別れて帰るふりをして、角を曲がったんだ。で、ちょっと待って、次の角とそのまた次をぐるり回って、兄貴の宿屋の裏に出たんだ。


 そしたらな、いたんだよ、あいつがな。顔の周り青黒く晴らしてたよ。手水で顔洗ってやがった。



 何? 其の後どうしたかって? 帰って大黒屋の番頭に伝えたよ、ありゃ確かに筋者だろうってな。
 その日はそれぐれえだ。



 何? なんで兄貴とそんなに仲が悪いのかって?
 あいつが金儲けがド下手だからに決まってんだろ!


 


 



 六月十二日について
 宿屋の主人より聴取


 其れは、夜分の事で御座いました。火を落とし、戸口を閉めた後、直接、彼に尋ねてみることにしたのです。昨日、私の弟が来た。奇妙な事を尋ねて来たが、貴方の素性を教えて欲しい、と。
 すると、彼は最初はなから聞かれることを予期していたかの如く、つらつらと喋り始めました。
「私の稼業は、見世物小屋なのです」と。そして、今は興業を行いながら、都へと戻る途中であるとも。
 私は可笑しいと感じました。見世物小屋の行商を、たった一人で行えるもでしょうか。彼はその布そのままのような服を除けば、何一つ持ってはいないのです。
「不思議にお思いでしょう」と彼は言います。
「私どもは、見世物小屋で凌いでおりますが、現在は小屋は使用していないのです。もちろん、都の近くで行う時は小屋を建てる時もありますが、今時分のような、役人が常に夷狄に目を光らせているような時には、私どもの興業小屋も平常時より目を付けられ易いのです。ゆえに、その見世物だけを持ち歩いて全国で出稼ぎをしているのです。こっそりと」
私は、そのような事を初めて耳にしました。
「それはそうでしょう。私どもも、商売の相手はある程度決まっています。金のある道楽者相手に、遊郭などでこっそりと行いますので」と彼は言いました。


 もっとも、其の商売道具を盗まれてしまったのですが、とも。


 出来心という物でしょう。私は、好奇心から其の商売道具なる物について尋ねてしまったのです。今思えば、何と軽薄であった事でしょう。其の様な事を耳にしなければ、此れ程までに悩む事も無かったのですから。



「河童の手です」と彼は申します。



「河童の手」
「はい。私どもの見世物は他にも御座いますが、今回私が興業に用いていたのは河童の手で御座います」
私は、今まで河童を耳にした事はありますが、目にした事はありません。其の様な物に客が着くという事も不思議で御座いました。
「まあ、道楽物が相手ですから」


「それに、私どものは本物ですので」


 其れからというもの、彼からは多くの話を聞きました。河童の指は、四本であるという事。河童の手を清める際、酒を用いる事。其の為、彼らは酒を一切口にしないという事。
 また、興業で全国を出歩く際、耳にする異国の文化についても。其の国では、夫婦となる際、指輪という物を交わすそうで御座います。二人の仲を誓い合う物であると。
 それらは強く結びつき、異国の神の前で祝うのだ、と。
「其の祝いと云うのは私どもの商いにも通じるのです」と彼は云います。


「祝いには口を、即ち言葉を用います。私どもが河童の手を清める際にも言葉を用いるのです」


 


 ゆえに、私どもは義理堅いのです、と。


 


 


 六月十三日について
 牢内、大黒屋の番頭より


 十三日? その日はあれだよ、御隠居と話してこれからどうするっかって頃合いだよ。いや、どうするもクソもねえけどよ、逃げられちまったもんを放っとくわけにもいかねえだろ?
 そりゃあ、先に取ったのは俺たちだけどよ。逃げられちまったってのがまずいんだな。
 そいで、次の日の相談をしてたのよ、十四日のよ。仕方ねえから無理矢理にでもってんで、若え衆探して、明日の手はずを整えてって頃だよ。
 そしたらお前、店の表の方が騒がしいんだわ。
 何で騒いでるかってえと、朝からお嬢さんの姿が見当たりません、だとよ。御隠居の孫娘。
 その孫娘が見当たらねえんだ。そりゃあ子供だから歩きもするさ、歩きもするだろうけど、そりゃあ店の皆で探してよ。
 まあ、皆で言ってたんだよ、何でも指輪ってもんを買ってもらったから、どっかで見せびらかしてんじゃねえかってよ。どうも、子供がするもんじゃないらしいけどよ。
 で、見つかったんだよ、見つかったんだけど、いやー、肝っ玉冷やしたね、そりゃあもう。


 死んでるんだもんよ。川ん中で。


 そらもう御隠居顔面蒼白よ。


 


 


 六月十四日
 官吏による記録
 川中ニテ、大黒屋ノ孫娘発見サル
 左腕、肩ヨリ先ガ欠ケシ状態ナリ
 川下ニテ、襤褸ノ布発見サル


 


 


 六月十五日
 奉行所にて、男の証言


 いや、大変な事でした。まさか、商売道具を盗られてしまうとは不覚で御座います。
 ええ、確かに私は大黒屋の主人と料亭にて、面識を持ちました。其の際、お見せしたのが河童の手で御座います。
 其の河童の手、高値で売れるのでありまして、料亭にを後にしてからというもの、後ろから何者かに殴られ、相盗まれる事となったので御座います。私の不覚と言えましょう。其の後も其の男は私を追い掛けて来たので御座いますが、其の折にこの宿屋の御主人に助けられたので御座います。
 さて、私はなんとか其の商売道具を取戻そうとしたのですが、それは既に大国屋から南蛮の手に渡り、後を追えなくなっておりました。


 私どもは、受けた恩は必ず返します。


 大黒屋の娘を攫い、息の根を止めたので御座います。そして、右腕を切り落とし、持ち帰ろうとしたのです。
 何、河童の手、と申しますが、あれは、中には人の物も混じっているので御座います。玄人でなければ分かりはせぬでしょうが、何、人の手ででも十分、商売になるので御座います。
 其の儘逃げおおしても良かったので御座いますが、思ったより早く見付かる手合いとなりました。
 私が様子を伺っておりますと、宿屋の主人に嫌疑がかかっておりました。


 私どもは、受けた恩は必ず返します。


 其の為、今ここでこうして申上げているので御座います。


 


 右腕に付いていた薬指、で御座いますか?


 私の胃の中から見付かる事でしょう。私どもは人を使って河童の手を作る際、一本切り落とした其の指を、其の儘飲むので御座います。まあ、一つの手順とでも申しましょうか。河童の一部を己の中に取り入れるのです。


 ゆえに、私どもは酒を呑まないのです。酔っ払ってしまっては、胃の中の河童が暴れ出す恐れがありますので……


 


 


 


 六月十六日
 官吏による記録


 明朝、刑ノ履行ノ為、官吏二人ガ牢ヘト赴く
 男、割腹自殺セリ状態デ発見サル
 男ノトナリニ広ガリシ血溜リノ中ニ、薬指発見サル
 尚、指輪見当タラズ


 


 


 六月十七日
 宿屋の主人の証言より


 私は、今でも怖くて堪らないので御座います。もし、私がその報いを受けることになったなら、どうなると云うのでしょう。
 彼は、必ず恩は返します、と申しておりました。事実、今ここで、私が牢に入ることなく話すことが出来ておりますのは、彼のその恩があっての事で御座います。
 しかし、もう私には、どうすればよいかとんと見当も付かないのであります


 


 


 記録、此処で終わる。


 


 


006☆(入学式、悩みの種、意図的な廃人)<悲恋>

 



 目の前の女子の肩に、桜の花びらが乗っていた。



 ‐‐あいつは今も、部屋ん中でゲームでもやってんのかね……



 空は快晴、運動場の片隅後者を背景に、一年四組の三十九人は立っていた。
「はーい、撮りますよ」
との声の後、カメラマンはシャッターを切る。
「じゃ、教室でこれからガイダンスすっぞー」という担任の声のもと、俺達三十九人はだらだらと着いていく。


 一年四組の生徒数は、本来四十人である。
 この写真に、あいつは写っていない。



 ‐‐もっとも、あいつ写真とか大嫌いだもんな……



 それぞれで何人かのグループを作り、話しながら校舎まで歩いていく。入学式は中学校とさして変わらんな、と思う。
「なあ、部活とか決めた?」と、右側から話しかけられた。
「いや、特に決めてないよ」と適当に返事をする。
途端に、彼は顔色を輝かせた。
「なら、バンドやらね? バンド!!」
「バンド? まあ、気が向いたらな」
うっしゃ! とそいつはガッツポーズをする。頑張れ。俺はそこまで乗り気ではない。
 適当に話を合わしながら、校舎まで歩く。


 教室では、席がそいつと前後だった。
「お、奇遇だな! これで授業中でも練習の話ができるな!」
「まだやるとは言ってねえだろ」
中学の時の話や、どんな音楽を聴くか、何てことを話してるうちに、担任のガイダンスが始まり、説明が終わり、少しそいつと話して、校門前で別れて俺は学校を後にした。



 校門で別れた後、後ろから誰かに背中を叩かれた。振り向くと、そいつが息を切らして走ってきた様子で、
「言い忘れた!」
と俺の背中をまた二、三回軽く叩いた後、
「また明日な!」
と走り去っていった。元気な奴だ。


 


 


 腕時計を見る。12時30分。



 ‐‐昼飯でも買って、あいつのところへ持って行くか。



 俺はコンビニへ向かい、弁当二つと清涼飲料水を二つ買う。弁当は適当に、飲み物はカルピスとアクエリアスでいいだろう。
 会計を済ませて、学校と俺の家の中間地点にあるあいつの家へと向かう。


 話し相手ができたのは、まあ幸運だったかな、何て考えながら、平日の桜並木の下を歩く。
 もっとも、バンドは多分やらねえけど。



 考え事にふけっているうちに、あいつの家の前にたどり着いた。慣れた手つきで、いつものようにチャイムを鳴らす。
 ドアの向こうから、トタトタと軽い足音がした後に、ガチャリと鍵の外される音がした。


「おはよ」
「ん」と、あいつこと、S美は返事を返す。相変わらずの、ボサボサの髪。


「何それ」
「弁当」
「味は?」
唐揚げと、トンカツ、と答えながら、靴を脱いで上がらせてもらう。
「弁当ばっか気にしてんじゃねえよ」
「来るたびに人の髪の毛を気にするやつに言われたかねえよ」


 そう言って、S美はくるりと背を向け、自分の部屋へと歩き出した。俺も彼女に着いていく。


「何もねえけど」お決まりの言葉だった。
でも、今日はいつもと違っていた。
「プレステは?」
「しまった」と、何でもないかのようにS美は言った。


 さー、飯、飯と呟きながら、財布から五百円玉を取り出すS美。


 俺は絶句した。あの、学校に来る日数をギリギリまで減らし、日々ゲームに熱中していたS美の部屋から、プレステをはじめとした、各種ゲーム機が消えているのである。


「何で、嘘だろ?」
「嘘でも牛でもねーよ」と、面倒くさそうに答える。



「私ももう高校生だからな!」



 俺は目眩がした。もっともこいつから出てきそうにないセリフである。そして、つい口から言葉がこぼれてしまう。



「学校こんのかーい!」と。


 


「行くわけねーじゃん、めんどくせーし」唐揚げを頬張りながら答える。
「じゃ何でゲーム機片付けたんだよ」
「勉強のためだ」
 トンカツ一個もーらい、とS美は俺のトンカツを奪う。
 俺は箸を落とした。
「あのS美が? 勉強? あの生まれてから容姿にも才能にも恵まれたのにやる気がなくて髪もとかさずゲームと飯以外には興味を示さなかったS美が勉強? 嘘だろ?」
「人を貶めるのはやめてもらえますかね」
罰だ! と言ってS美がポテトサラダを奪おうとするのを防ぐ。


「どんな心境の変化よ」


「今後の人生で一生ゲームを楽しむためだよ」


 俺は彼女の言っている意味がわからず、手の動きを止めてしまう。
 ポテサラゲットだぜ! とS美は自分のおかずに加えた。


「授業のカリキュラムと、大学のシラバスを見たんだよ」と、S美は机の下から一つの冊子をいくつかのプリントされたA4用紙を取り出した。
「これまでは勉強せずともテスト前に教科書みればやってこれたけど、多分、これからは無理だな」
と言い、カルピスを飲む。
「意外と広いんだな、国立行こうと思うと、受験の範囲」


 俺は、S美がプリントした資料をめくる。


「でもこれ、シラバスの方は受験問題じゃなくて大学のカリキュラムじゃん」
それはな、とS美は続ける。
「受験問題は昨日ネットである程度見たんだよ。そっちは大学入ってからの授業だ」


 ほーん、と俺は思う。


「何でそこまで考えてんのに、学校こねえの?」
わかってるくせに聞くなよ、とカルピスを飲み、
「めんどくせーかんな」
と呟き最後の唐揚げを頬張った。


「私は人付き合いがめんどくさい。必要以上に関わりたくない。お前も知ってんだろ?」
ああ、て事は、と俺は続ける。
「もう、高校での必要出席日数とかも計算したん?」
「当然だ」
「さいで」
「とは言え、ゲームをするためには金がいる。金を稼ぐためには人と関わる必要がある。だが最低限しか私は人と関わりたくない。だから、選択肢は多い方がいい。今のところ、研究者なら達成できるのではないかと思うっている」
「でも、研究者って学会とか発表とかでコミュ力むっちゃいるって言うじゃん」
そん時は、とまたカルピスを飲んで、
「そん時だな」
とニヒルに口元をこぼす。


「BFのチャット越しに同僚と会話するわ」
「何の研究職なんだよ」
「さあな」と笑う。


「まあその時は、わからん。計画はしても、先のことはわからんよ」
と、俺の頭越しに、S美は自分の部屋の壁を目を細めて見やる。


 俺は、振り向かない。


 視線の先には、S美と、S美の母、父、弟が写った写真があることを、俺は知っている。
 そして、なぜS美がそんなことを言うのかも。


「そこまで考えてるんだったら、なおさら学校来ればいいのに」
と俺は笑う。
「めんどくせーかんな」
とS美も笑う。
「学校来れば、毎日でも一緒に登下校できるじゃん。今日なんて快晴の桜並木だぜ?」
と俺は言う。
「先のことは、わからんからな」
と、S美は口元を緩める。


 俺は、今、笑えているか不安だった。


 


 


 さて、とS美は言葉を紡ぐ。
「まあ、出席する日は連絡するさ。その時はよろしくな」
 ん、と答える。
 俺は立ち上がり、帰る準備をして、玄関に向かった。扉の前で、S美と向かい合う。


「じゃあ」
「おう、また」
「……」
「何だよ」
S美が何かを言いたげだった。
いや、と続け、
「何でもない」と言う。


 俺は踵を返す。
「バンド、やってみたらどうだ?」
「は?」
「背中」


 背中に手をやると、何かが指先にひっかかる。俺はそれを、中指と人差し指とではがしとった。



「バンド、やろうぜ!」
の文字の下に、URLが書かれている。小さく、「俺が作った曲聞いてみて!」と。


 


 S美はくすくす笑う。
「先のことはわからんよ」
俺は肩をすくめた。
「またな」
ああ、とS美は言って、俺たちは別れた。


 


 ぼけっとした頭のまま、桜並木の下を帰途についていたが、ふと思い立ち、立ち止まってスマホでそのURL にアクセスした。
 ちょうどよくバス停のベンチがあったので、イヤホンを耳に突っ込み、俺はその曲から適当に選んで聞く。


 


 春の風に舞う桜の花びらを見ながら、貯金いくらあったけとか、今晩の夕飯だとか、次に来るバスに飛び乗ったらどこまで行けるんだろうなんて事柄が、頭の中でリフレインしていた。


 


 


 


2016/06/15

005(夜空、鷹、おかしな時の流れ)<ラヴコメ>


20160615
005(夜空、鷹、おかしな時の流れ)<ラヴコメ>




 今日は満月だ。私は満月のたびに、月明かりを頼りに原っぱへと出かける。空を見上げると、夜空の藍色とは少しだけ色味の違う影が、悠々と移動していた。
 その影がだんだん大きくなり、私に近づいてくる。やがて、私の数メートル先に着陸し、こちらの方を澄んだ、それでいて険しい瞳で見つめている。
 私は、私と「彼」との連絡を助けてくれる鷹の嘴くちばしから、手紙を受け取った。「彼」の身に、近頃起こったことが書かれていた。異国での貿易事情、内紛の様子、火の起こし方の違い、それに私が耳にしたことのない言葉達。私が知らない言葉が沢山あるけれど、彼が何を言いたいのかはわかるような気がした。最も、勝手に私が勘違いしているだけかもしれない。
 私は一通り手紙を読み終えると、今度は私が書いた手紙を嘴に差し出した。鷹はその手紙を加えると、大きく羽ばたいた。私のローブの裾が揺れ、目に風が吹き込む。思わず腕で目を隠したが、次に前を向いた時にはもうそこに鷹の姿はなく、大空へと旅立っていた。
 そして私は家うちへと戻り、暖炉の前でミルクを飲みながら、手紙をもう一度読み直す。
 これが、満月に行う私の習慣だった。


 この習慣はこの土地で、私の祖母の、そのまた祖母の時代から続いているものらしい。どうしてこのような習慣が始まったのかを母は知らなかったし、祖母もその理由を知らされてはいなかった。
 一説には、祖母の祖母の時代に、ある人が異国の恋人と連絡を取るために始めた、何て話が出たこともあった。だが、それはありえない。ここは山と山、それにもう少し高い山ともっと高い山に囲まれた土地で、最後に旅人が訪れた公式記録は800年以上前のことだそうだ。そんな偏狭な土地になぜ私たちが暮らしているかといえば、その理由は二つある。

 一つは、この土地に生まれたから、ということ。
 もう一つは、外から入ることが難しいこの土地は、中から出ることも難しいのだ、ということ。

 とはいえ、公式記録によればこの土地から外へと出て行った若者も数人はいるらしい。理由は様々で、最も多いのは「外の世界を見てみたい」というものだった。その結果、ここ800年の間に、歴史上で数名のものは土地を出て行ったきり、帰ってきてはいない。だから、どうなったのかもわからない。周りの険しい山々を無事に乗り越え、私の見たことのない世界で暮らし、そこで子孫を残したのかもしれないし、道中の山の試練で命を落としたのかもしれない。いずれにしろ、もはや確かめる方法はなかった。


 では、800年以上前に来た旅人はどうなったかと言えば、何のことはない、この土地で暮らし、伴侶を得はしたものの、子孫を残すことなく亡くなった。
 また、鷹が来るようになったのは祖母の祖母の時代からであるが、その時代、つまり300年ほど前の時代には、土地を誰かが出て行ったという記録もない。
 鷹は、突如としてこの土地を訪れるようになったのである。


 この土地において、鷹は次のような認識をされている。



 あの鷹は時を超える。



 私は先ほどの手紙に意識を戻す。そして、視線で異国のインクで書かれた、異国の文字に目を這わせる。異国の文字だから、読めなくて当然の事なのだろうが、なぜだろう、ところどころは読めるのだ。否、読める気がするのだ。本当は何一つわかっていやしない。おそらく貿易のことだろう、何て推測したところで、その文字が本当に貿易のことを指しているのかもわからない。そもそも、この土地の貿易は1200年以上前に途絶えている。歴史だけがこの土地の存在を証明していた。
 そして、その手紙に書かれている内容は、まるでこの土地の時間の流れとは異なっていた。


 私が「彼」に返事を書いても、「彼」が読めるのかどうかすらわからない。でも、「彼」の住む土地は他の土地との交流も盛んなようだから、読めているのかもしれない。

 私は、未だ見ぬ土地へと思いを馳せる。

 私が「彼」抱くこの感情は、文字にしたところで、「彼」に伝わるかどうかわからないし、伝わったところでどうしようもない。それに、適切な言葉も見つからないし、本当は、手紙の相手の「彼」が毎回変わっていても、複数人であったとしても構わないのだろう。


 私は手紙に、あの山を越えたいという感情を託している、のかもしれない。



 私は、「彼」よりも、あの山を鷹のように超えた先の、私が「私」になりえた私に出会いたいのだ。





2016/06/12

004(暁、矛盾、真のメガネ)<邪道ファンタジー>



20160612
004(暁、矛盾、真のメガネ)<邪道ファンタジー>




 運命とは、かように不思議なものである。
 本来、引き合うことのない二人が出会い歴史を動かした話だ。


 三百年ほど前、とある地域で大戦があった。
 王室の分家から発展した戦争は、国中を巻き込み、二国間で長年に渡り続いた。

 その争いの最中、人知れず名を上げた戦士がいた。
 彼は、「恥ずかしがり屋の凶戦士」と呼ばれていた。
 その活躍の背後には、ひとりの技師がいたとされる。

 この二人がいなければ、A国ではなくB国が勝利を収めていただろうとも言われている。


 その戦士には、戦士として致命的な欠陥があった。
 恥ずかしがり屋であったのである。
 大変に腕のたつ剣士でありながら、恥ずかしがり屋であために、戦場では活躍できずお荷物扱いされていた。

 その彼を助けることになったのが技師である。
 その技師は、メガネのレンズを加工する技師であった。
 腕の悪いその技師は透明なレンズを作ることができず、工房でも持て余されていた。
 彼は色の混じった粗悪品としか言いようのないレンズばかり作っていた。

 ある時、戦士と技師、それぞれが運命的に絡み合う。
 戦士が、その技師のメガネを着用することにしたのである。
 明らかに視界は悪化するのだが、その戦士はもはや戦闘の際に視力を必要としていなかった。
 見通しの悪いメガネを使用することで、恥ずかしがることを解消したのである。

 彼は戦闘の度にメガネを血に染めたと言われる。
 水で洗い流すこともなく、視界が悪くなればなるほど、彼は強さを増していった。
 より視えなくなればなるほど、敵の動きが観えるようになったのである。

 真っ赤にそまったそのメガネは、A国の勝利に貢献したとして、「AKATSUKI」の名で戦勝博物館に今も飾られているという。


2016/06/11

003(緑色、迷信、激しい存在)<指定なし>



20160611
003(緑色、迷信、激しい存在)<指定なし>



 西へ西へ、そのまた西へ、さらに西へと行った先に、蓬莱の山がある。
 もっとも、厳格に蓬莱山であるかどうかは定かではなく、人々の伝承によって蓬莱の山であるとされているに過ぎない。

 今回、私はその山の麓の街へとやってきた。蓬莱山に登るためではない。
 とある店の取材のためだ。

「肉まんじゃないアルよ! 点心アルね!」
店の中で、若い女が騒いでいた。

 そう、わたしはこの店の点心を取材しにきたのだ。

 この店の点心は都でも有名である。
 その卓越した味もさながら、色が緑色なのだ。

 噂によると、
「あの店の点心には、龍の鱗が使われているらしい」
だそうだ。

 なんとも恐れ多い話だあると感じたものだが、なんでも、当代である閑閑かんかん主人の5代前、喧喧けんけん主人が、蓬莱の山で迷った際、龍神の化身に出会ったそうだ。
 龍神に帰り道を教えてもらい、無事に家へと帰った彼は、その後、毎日点心を山の祠に供えたそうだ。
 その行為を続けること1000と6日、彼の夢枕にその龍神が立ってこう告げた。


「お前の店の点心に、私の鱗を削って使え。滋養もまし、ますます繁盛することだろう。私の鱗は、滝の側の苔の中に混じっている。」


 夢から覚めた主人は山に登り、滝へと向かい、そして、龍神の鱗を見つけたと言う。
 以来、この店は孫の孫のそのまた息子まで、子々孫々と繁盛しているとのことだ。


「おまちアル!」


 さて、その肝心の点心である。
 一口食べる。

 うまい。確かにうまい。

 そのような言い伝えがなかったとしても、十分に繁盛しそうな味である。


「また来るアルね!」


 腹ごしらえもそこそこに、私はその山の麓まで向かうことにした。

 その店から一刻ほど歩いた場所に、その山の祠はあった。
 いたって普通の祠である。


 さて、取材に来たはいいものの、いかに記事にしたものか……
 このままではつまらない。


 あの店の点心の、半分は実は肉まん! とでも書くか……




 突如、雷鳴が落ちた。
 轂を転がすかのような音とともに豪雨が降り、私は急いで祠へと身を移した。

 この雨、どうしたものか、と思っていると、背後から突如、声がした。


「あれは肉まんやない、点心や」


 振り向くと、誰もいない。
 そして、驚くことに雨も止んでいた。




 私は半ば放心状態のまま店へと戻り、老酒と点心を頼んだ。

「ああ、それは龍神様アルね」

と女は言った。

「あなた、よからぬこと考えたアル。肉まんと点心は違うアルよ!」




 なるほど、確かにそうかも知れぬ。
 肉まんと点心は違う。
 よくよく考えてみれば、物の名前を間違える、ということは、人の名前を間違えることと等しいかも知れぬ。



 よし、この記事はこの線でいこう。


 持ち帰りで、点心を買って土産に持って行こう。


「そっちは肉まんアルよ!」



 失敬。



 こうして、わたしは蓬莱の麓の街をあとにした。





2016/06/10

002(森、地平線、輝く枝)<ホラー>


20160610
002(森、地平線、輝く枝)<ホラー>




 奇妙な森の話をしよう。

 どのぐらいの大きさの森かといえば、広すぎることも、狭すぎることもない、とはいえ、油断すると迷ってしまうぐらいの大きさの森だ。
 M県D市の街中に、今も存在する森の話だ。

 不思議に思ったことはないだろうか。
 いたって普通の街中の住宅街の切れ目、または線路の向こう側に見える木々のことを。
 塀やフェンスをぐるっと回ると、それほど大きくはないのに、鬱蒼と茂った森のことを。

 どこにでもある、森の話だ。

 試しに、自分の町を上からスマホでもなんでも見てみるといい。
 きっと見えることだろう。不自然に曲がった道路や、普段は意識することのない、緑色の塊が。
 縮小しても拡大しても、なんの変哲もない、緑がそこにあることだろう。

 しかし、実際に行くのはわけが違う。
 上空から鬱蒼とした枝葉の塊を見ることと、頭上に広がる枝葉の隙間からなんとかして空を仰ぎ見ようとすることは、全くの別なのだ。

 これは、森を見て木を見ない話ではなく、木を見て森を見ない話でもない。

 森の中で、輝く枝を見た話だ。

 繰り返す、これはどこにでもある森の話だ。







 M県D市はかつて、何もない平野だった。ただ一つ、小さな小さな森を除いて。
 海に面するその町は、水平線から陽が昇り、南にも北にも、どこまでも地平線が広がる土地だった。
 一時の間、風が凪ぎ、海風から陸風へと風向きも変わる頃、夕方には陽が沈む。
 その土地では、陽は小さな小さな森へと沈んだ。
 西に位置するその森は、昔からずっとそこにあるそうだ。
 狩猟採集の時代から、都市開発が進み現代に至るまで、その森は存在した。
 道路開発が進み住宅の増えた今でも、ひっそりと存在している。



 私がその森に興味を持ったのは、大学時代の事だった。
 史学科にいる友人が、郷土資料の中にある記述を見つけたのだ。

 その昔、その森には鬼が棲んでいた。
 とても賢いその鬼は、人を罠にかけては喜んでいたという。


 私は鬼など信じなかったし、友人も鬼の存在を信じていなかった。
 しかし、その友人を含む4人の間で意見が分かれた。

 一つは、民間信仰の一つであり、いくら小さいとはいえ、森の危険を子供に伝えるための作り話。
 一つは、海で生計を立てる人々と、畑仕事で生計を立てる人々との対立、ないしは生活圏の違いがそのような話を作り出し、森が緩衝帯となっていたが、今となってはその影もない、という話。


 私ともう一人は測量科、あとの二人は史学科であったということもあり、そこそこ話は弾んだ。
 もっとも、何の生産性もない当て推量であった。

 しかし、若かった私たちはその議論を続けるうちに白熱してしまった。
 とはいえ、何かしらの勝敗が見えるわけでもない。
 夜遅くまで酒を飲み交わしながら議論するうちに眠ってしまい、そのことは頭の片隅に残るまでとなっていた。



 夏の定期試験も終わり、時間を持て余すばかりとなった頃である。
 私を含む4人が私の下宿部屋で、することもなく扇風機で暑さをごまかしていた際のことだ。



 民間信仰派であった一人が、スマホの画面を指差して言った。

「これ、鳥居じゃないか?」

 何のことかと思ったが、私たちは森に関する他愛もない会話の事を思い出した。


 私たちは彼の画面を覗き込んだ。
 確かに、ズームした画面の中の、鬱蒼とした木々の隙間から、周りと微かに色の異なる、灰色が見え隠れしていた。

 鳥居があるんなら神社もあるんだろう、なら民間信仰に違いない、と彼は主張した。

 私は生活圏の違いであろうという派閥であったが、私と同じ派閥のもう一人であるが、いや、それは単なる建造物だ、倉庫か何かに使っていたものだろう、と反論した。


 再び、私たちの間に議論が巻き起こった。

 暇だったのだ。



 暇というものは、よくないことを巻き起こす。

 私たちは、実際に確かめに行くことにした。

 フィールドワークだ、ついでに肝試しだ、などと騒ぎながら、飲み物を買い、酒を買い、つまみを買い、夜になるのに備えた。



 そして、夜が来た。



 私の家から、その森の入り口へと向かう。
 その森は、私の下宿と大学を結ぶ直線の、ほぼ中間地点に位置している。
 森から見て、大学が真西、うちが真東だ。
 さて、どこから進入したものか、とぐるっと一周したのであるが、それは杞憂であった。

 その森は、どこからでも進入可能であった。

 どこからでも、というのは少々語弊があるのだが、住宅外の塀の隙間、踏切の横から、路地の間など、至る所に進入可能な箇所があったのだ。

 結局、私たちは、大学から真東に進み、進入することにした。


 夜となっては人目もない、閑静な住宅街の踏切を横切る形で、森への入り口がある。

 私たちのうち一人が怯えていたが、ええいままよ、と缶ビールを飲み、真っ先に森へと入った。
 思ったよりも薄暗く、彼の姿はすぐに見えなくなってしまう。

 その時、踏切の警報機が明滅する光とともに、けたたましく音を立て始めた。

 見失っては面倒だと思った私たちは、遮断機が降りる前に、3人揃って森へ飛び込んでいった。



 私たちは、暗闇の中を、懐中電灯を手に進んでいった。
 今夜の空は晴れていて、月明かりが街を明々と照らしていたのだが、森へ入ってしまうとその光は枝葉に邪魔され全くと言っていいほど届かない。

 暗く先の見えない森とはいえ、街中の小さな森だ。

 足元を照らし、談笑しながら歩いていると、ほどなくして建造物が目に入った。

「これだ」

 そこには、小さな小屋があった。鳥居に見えたものは、まあ、勘違いであろう。
 しかし、建造物があったのは確かであった。


 近づいてみると、人気はない。それに、誰かが住んでいるような気配もない。

 しかし、使用している気配があるのだ。

 懐中電灯で小屋の中を照らしていると、私たちが動くことで、埃が舞っているのが見える。
 その埃の舞い方が、激しい箇所と穏やかな箇所とがあるのだ。


 明らかに、何者かが使用している。


 私たちに少しばかり恐怖が芽生えたが、ひとまずは鳥居ではなかった、ということで帰宅することにした。


 懐中電灯で、もと来た道を戻る。


「おい」
一人が口を開いた。
「何だ」
「ちょっと止まれ」
「何で」
「いいから」
「だから何で」
「……いいから止まれ」
「だから何でだって」

「っ!!」
瞬間、辺りが真っ暗になった。

「何で懐中電灯消したんだよ!」
「お前らが止まらんからだろうが!」

「何で止まらねばならんのだ」

「音がするんだよ」

 私たちは、黙った。
「気づいてるんだろ? お前らも」

 今は、私たちの息遣いしか聞こえない。

 試しに、懐中電灯をつけてみる。
 っず、っずと、何かを引きずるような、音が聞こえた。

 灯りを消す。
 すると、音も消えた。

 私たちは、灯りを消したまま、黙って歩くことにした。
 もと来たはずの道を歩いて、何十分歩いた頃だろうか。

 森から出ることができない。

 確かに、灯りがないために歩みは遅かった。しかし、私たちはまっすぐに歩いているのだ。
 この森は小さな小さな森である。どこまで行っても森、というのはさすがに奇妙である。

 おそらく、全員が恐怖を感じていたが、口にすることはなかった。

 とはいえ、このままでは埒があかない。
 私たちは、再び懐中電灯のスイッチを入れて歩き出した。






 まただ。また、音がする。
 何かを引きずるような音が近づいてくる。

 ライトを消すと、音も止まる。

「走れ!」

 私たちは、ライトをつけて走った。


 しかし、走っても走っても森から出られない。
 木の枝で腕を擦りむき、服は糸がほつれながらも、私たちは走った。


 走れば走るほど、っずっず、という音も近づいてくるようだった。


 私たちは、ライトを消して立ち止まった。
 原因不明のその音も後方右の草むら辺りでやんだように見えた。
 しかし、ゆっくりと、だが確実に、こちらに近づいてくるようだった。

 私たちの一人が、先ほど買ったつまみの焼き鳥を音のする方へ放り投げた。

 一瞬の間ののち、咀嚼するような音がする。

 私たちは暗闇の中で、一つの決心をした。

 朝まで歩き続けること。

 その後、私たちは朝まで森の中を歩き続けた。
 後ろから音が近づいてくると、そちらへ向かって焼き鳥や唐揚げを千切って放り投げる。

 そのようなことを、何十回、繰り返した頃だろうか。

 森の中に、薄暗くはあるが、藍色の、朝の早朝の光が差し込んできた。
 私たちも、お互いの顔が数十センチの近さであれば確認できるほどの明るさであった。

 鳥のさえずりも聞こえれば、森の外からであろう、自動車の走る音も聞こえてきた。
 自動車の音のする方へ歩いていくと、眩しい光が、木々の間から差し込んできた。
 おそらく朝日であろう。

 その時である。

 けたたましい音が、私たちの真後ろの方向から聞こえてきた。
 目をこらすと、遠くの方に、一定の間隔で明滅する赤い光が見えた。

 この森の周囲には、踏切は一つしかない。
 まず間違いなく、私たちが進入した場所の踏切であろう。


 そちらに歩けば確実に帰れる。私たちは安堵した。
 しかし、である。踏切とは正反対、私たちの真正面のからは、自動車の音が聞こえてきた。
 私たちは顔を見合わせる。全員が疲れ切った顔をしていた。


 眠い。眠たくてしょうがない。
 背後が踏切ということは、その方向は真西、その先は大学。なら正反対は私の下宿である。

 私たちは、走り出した。
 こちらにも、出口はあるはずだ。そして、その先には私の下宿がある。

 わざわざ大学の方面へ抜け、ぐるっと回るよりも、今すぐ泥のように眠りたかった。

 数十メートルほど走った頃だ。私たちは、森を抜け出た。顔を見合わせ、安堵した。


 しかし、奇妙なことに、そこは真東ではなく、北よりに位置するコンビニの前であった。
 私たちは疑問を感じたが、今はもう、そんなことはどうでもよかった。


 誰も口を開くことなく歩き、私の下宿の部屋に辿り着いた。時計を見ると、午前5時20分を指している。
 暑くてたまらなかったが、扇風機を奪い合う気力もなく、私たち4人は泥のように眠りについた。











 そしてこれは、その後の話だ。

 私は大学を卒業し、就職してM県からT県へと移った。
 やがて結婚し、盆休みにR県にある妻の実家を訪れていた際だ。妻の祖父から酒の席で聞いた話である。


 この街中にも小さな森があるらしい。
 今でもその森は残っている。そして、言い伝えも。



 なんでも、その森には鬼が棲みついており、罠で人を騙して食べるらしい。
 その鬼は、森に迷い込んだ人を光でおびき寄せるそうだ。

 真っ赤な真っ赤な、怪しく輝く鬼灯を用いて。



 これは、奇妙な森の話だ。
 繰り返す。


 どこにでもある森の話だ。







2016/06/09

001(虹、クリスマス、ぬれた高校)<SF>


20160609
001(虹、クリスマス、ぬれた高校)<SF>

 ホワイトクリスマスなんて、嘘だ。
「嘘じゃないよ、雪は降るよ」
 なんて言うのは、ノスタルジーにかられたアホウ共だけだ。

「昔のコントがほんとになったんじゃ、彼らは予言者だったんじゃ!」
なんて、私の祖父は言っていた。

 どういうこと? って聞いたら、
「1月にこんなに寒かったら、6月はもっと寒いってことじゃの」って言っている。
 どういうことなの。

 6月9日、早朝6時。
 私は、駅の青いベンチに腰掛けて、電車がくるのを待っている。

 はぁー、と息を吐いた。
 白い息が、世界に生まれた。

「こんなに寒い日に、朝練なんてしなくてもいいじゃない」
 私は、オレンジ色のマフラーに首をうずめた。



 地球の磁気が逆転してから、30年がたった。
 最も、私はその15年後に生まれたから、その頃の大騒ぎぶりは知らない。
 地学の先生は、
「まさか、私が生きている間に逆転現象が起きるとは思っていませんでした」
と授業で話す。
「そりゃもちろん、高校時代に、教科書で習いましたし、大学でも直にその頃、つまり昔の地層を研究室で扱ってましたから、現象があることは知ってましたけど、何億年後だと思ってました」

 そうだったらいいのにな、と思う。
 もっとも、どの季節も嫌いなのだけれど。





 地軸が移動するとともに、「クリスマス」は夏に移動した。

 そう、クリスマスではなく、「クリスマス」が昔でいうところの夏、6月に移動したのだ。
 地軸が逆転して世間がてんやわんやの時に、広告代理店が暗躍したらしい。
「夏にもクリスマスがキマース!」
なんてキャッチコピーで売り出したらしい。
 明るく元気に前向きに、地軸の逆転を捉えよう! だそうだ。

 アホか。

 寒いんならチョコも売れるし、なんならもともとのクリスマスは海でパーティーをして、年に二回のクリスマス! 子どもたちは大喜び! が定着していった、らしい。

 ちなみに、多くの親は泣いていたそうだ。真っ赤な赤字のクリスマス。




 地軸が逆転した結果、天候は少しおかしくなった。
 夏と冬が逆転しただけではなく、6月に、雨と雪が同時に見られるようになった。
 専門家によれば、厳密に言えば梅雨ではないそうだけれど、そんなことはわたしにとってはどうでもいい。


 雪も降れば雨も降る。どんよりした灰色の空と、黒っぽい雪。めんどくさい季節だ。


 今朝は、昨日深夜から早朝まで雨が降っていたせいで、路面が凍っていた。
 電車のレールも濡れている。
 きっと、運動場もべちゃべちゃだろう。
 だから、体育館で朝練を行う、と連絡が来た。

「……暖房かけてまで、しなくたっていいじゃない」

 温暖化万歳。

 ホームに列車がやってきた。いつもの、緑色の鈍行列車。
 わたしは、乗客の少ない電車に、いつものようにそっと乗る。



「よっ」
A子だ。
「おはよ」
わたしは短く返す。
「こんな日に朝練なんてなくていいのにねー」とC美。
「ほんとだよ」


 そう、今日は「6月のクリスマス」なのだ。


「昔はさー、朝起きたらプレゼントがあったよねー」
「そうそう、確認して、開けて、喜んで、すぐに学校だからさー」
「でもそれが楽しかったんだよねー」
「「ねー」」
と、B子とC美は話す。
「眠そうやね」
とC美に言われた。
「うん」とだけ返し、目を瞑る。

 なんだか、今日はめんどくさかった。

 その後、B子とC美は部活のめんどくささを語り合っていた。
 うむ、いつもの日常である。クリスマスはいずこ。

 電車が、学校の最寄の駅に停車した。3人、横に並んで歩く。

 みぞれ混じりの、雨が降り出した。
 B子とC美は、まだ話のタネが尽きていなかった。よくそうも話が続くな、と思う。



 駅から学校までは、一本道である。
 閑静な、というよりも、クリスマスにすら開くことのない商店街を抜けると、すぐそこが学校だ。

 灰色の壁と、立派とは言えない時計台が、雨に濡れて光っていた。


「あ」と、思わず、声がこぼれる。
「何?」
「いや、なんでもない」
「変なの」とB子。

 寝ぼけ眼で、見間違えたのかもしれない。
 虹がうっすらと、ほんとうにうっすらと、学校に向けてかかっていた。


 突然、地学の先生と、プリズムのことを思い出した。
 おしゃべりなB子とC美。
 練習好きの部長。
 けだるそうな顧問。

 分光器。


 光が、ばらばらに分かれていく。

 クリスマス感はまったくないけれど、ホワイトクリスマスではないけど、まあいっか、と思う。




 虹の根元には、幸せが埋まっているのだ。