2016/06/15

005(夜空、鷹、おかしな時の流れ)<ラヴコメ>


20160615
005(夜空、鷹、おかしな時の流れ)<ラヴコメ>




 今日は満月だ。私は満月のたびに、月明かりを頼りに原っぱへと出かける。空を見上げると、夜空の藍色とは少しだけ色味の違う影が、悠々と移動していた。
 その影がだんだん大きくなり、私に近づいてくる。やがて、私の数メートル先に着陸し、こちらの方を澄んだ、それでいて険しい瞳で見つめている。
 私は、私と「彼」との連絡を助けてくれる鷹の嘴くちばしから、手紙を受け取った。「彼」の身に、近頃起こったことが書かれていた。異国での貿易事情、内紛の様子、火の起こし方の違い、それに私が耳にしたことのない言葉達。私が知らない言葉が沢山あるけれど、彼が何を言いたいのかはわかるような気がした。最も、勝手に私が勘違いしているだけかもしれない。
 私は一通り手紙を読み終えると、今度は私が書いた手紙を嘴に差し出した。鷹はその手紙を加えると、大きく羽ばたいた。私のローブの裾が揺れ、目に風が吹き込む。思わず腕で目を隠したが、次に前を向いた時にはもうそこに鷹の姿はなく、大空へと旅立っていた。
 そして私は家うちへと戻り、暖炉の前でミルクを飲みながら、手紙をもう一度読み直す。
 これが、満月に行う私の習慣だった。


 この習慣はこの土地で、私の祖母の、そのまた祖母の時代から続いているものらしい。どうしてこのような習慣が始まったのかを母は知らなかったし、祖母もその理由を知らされてはいなかった。
 一説には、祖母の祖母の時代に、ある人が異国の恋人と連絡を取るために始めた、何て話が出たこともあった。だが、それはありえない。ここは山と山、それにもう少し高い山ともっと高い山に囲まれた土地で、最後に旅人が訪れた公式記録は800年以上前のことだそうだ。そんな偏狭な土地になぜ私たちが暮らしているかといえば、その理由は二つある。

 一つは、この土地に生まれたから、ということ。
 もう一つは、外から入ることが難しいこの土地は、中から出ることも難しいのだ、ということ。

 とはいえ、公式記録によればこの土地から外へと出て行った若者も数人はいるらしい。理由は様々で、最も多いのは「外の世界を見てみたい」というものだった。その結果、ここ800年の間に、歴史上で数名のものは土地を出て行ったきり、帰ってきてはいない。だから、どうなったのかもわからない。周りの険しい山々を無事に乗り越え、私の見たことのない世界で暮らし、そこで子孫を残したのかもしれないし、道中の山の試練で命を落としたのかもしれない。いずれにしろ、もはや確かめる方法はなかった。


 では、800年以上前に来た旅人はどうなったかと言えば、何のことはない、この土地で暮らし、伴侶を得はしたものの、子孫を残すことなく亡くなった。
 また、鷹が来るようになったのは祖母の祖母の時代からであるが、その時代、つまり300年ほど前の時代には、土地を誰かが出て行ったという記録もない。
 鷹は、突如としてこの土地を訪れるようになったのである。


 この土地において、鷹は次のような認識をされている。



 あの鷹は時を超える。



 私は先ほどの手紙に意識を戻す。そして、視線で異国のインクで書かれた、異国の文字に目を這わせる。異国の文字だから、読めなくて当然の事なのだろうが、なぜだろう、ところどころは読めるのだ。否、読める気がするのだ。本当は何一つわかっていやしない。おそらく貿易のことだろう、何て推測したところで、その文字が本当に貿易のことを指しているのかもわからない。そもそも、この土地の貿易は1200年以上前に途絶えている。歴史だけがこの土地の存在を証明していた。
 そして、その手紙に書かれている内容は、まるでこの土地の時間の流れとは異なっていた。


 私が「彼」に返事を書いても、「彼」が読めるのかどうかすらわからない。でも、「彼」の住む土地は他の土地との交流も盛んなようだから、読めているのかもしれない。

 私は、未だ見ぬ土地へと思いを馳せる。

 私が「彼」抱くこの感情は、文字にしたところで、「彼」に伝わるかどうかわからないし、伝わったところでどうしようもない。それに、適切な言葉も見つからないし、本当は、手紙の相手の「彼」が毎回変わっていても、複数人であったとしても構わないのだろう。


 私は手紙に、あの山を越えたいという感情を託している、のかもしれない。



 私は、「彼」よりも、あの山を鷹のように超えた先の、私が「私」になりえた私に出会いたいのだ。





2016/06/12

004(暁、矛盾、真のメガネ)<邪道ファンタジー>



20160612
004(暁、矛盾、真のメガネ)<邪道ファンタジー>




 運命とは、かように不思議なものである。
 本来、引き合うことのない二人が出会い歴史を動かした話だ。


 三百年ほど前、とある地域で大戦があった。
 王室の分家から発展した戦争は、国中を巻き込み、二国間で長年に渡り続いた。

 その争いの最中、人知れず名を上げた戦士がいた。
 彼は、「恥ずかしがり屋の凶戦士」と呼ばれていた。
 その活躍の背後には、ひとりの技師がいたとされる。

 この二人がいなければ、A国ではなくB国が勝利を収めていただろうとも言われている。


 その戦士には、戦士として致命的な欠陥があった。
 恥ずかしがり屋であったのである。
 大変に腕のたつ剣士でありながら、恥ずかしがり屋であために、戦場では活躍できずお荷物扱いされていた。

 その彼を助けることになったのが技師である。
 その技師は、メガネのレンズを加工する技師であった。
 腕の悪いその技師は透明なレンズを作ることができず、工房でも持て余されていた。
 彼は色の混じった粗悪品としか言いようのないレンズばかり作っていた。

 ある時、戦士と技師、それぞれが運命的に絡み合う。
 戦士が、その技師のメガネを着用することにしたのである。
 明らかに視界は悪化するのだが、その戦士はもはや戦闘の際に視力を必要としていなかった。
 見通しの悪いメガネを使用することで、恥ずかしがることを解消したのである。

 彼は戦闘の度にメガネを血に染めたと言われる。
 水で洗い流すこともなく、視界が悪くなればなるほど、彼は強さを増していった。
 より視えなくなればなるほど、敵の動きが観えるようになったのである。

 真っ赤にそまったそのメガネは、A国の勝利に貢献したとして、「AKATSUKI」の名で戦勝博物館に今も飾られているという。


2016/06/11

003(緑色、迷信、激しい存在)<指定なし>



20160611
003(緑色、迷信、激しい存在)<指定なし>



 西へ西へ、そのまた西へ、さらに西へと行った先に、蓬莱の山がある。
 もっとも、厳格に蓬莱山であるかどうかは定かではなく、人々の伝承によって蓬莱の山であるとされているに過ぎない。

 今回、私はその山の麓の街へとやってきた。蓬莱山に登るためではない。
 とある店の取材のためだ。

「肉まんじゃないアルよ! 点心アルね!」
店の中で、若い女が騒いでいた。

 そう、わたしはこの店の点心を取材しにきたのだ。

 この店の点心は都でも有名である。
 その卓越した味もさながら、色が緑色なのだ。

 噂によると、
「あの店の点心には、龍の鱗が使われているらしい」
だそうだ。

 なんとも恐れ多い話だあると感じたものだが、なんでも、当代である閑閑かんかん主人の5代前、喧喧けんけん主人が、蓬莱の山で迷った際、龍神の化身に出会ったそうだ。
 龍神に帰り道を教えてもらい、無事に家へと帰った彼は、その後、毎日点心を山の祠に供えたそうだ。
 その行為を続けること1000と6日、彼の夢枕にその龍神が立ってこう告げた。


「お前の店の点心に、私の鱗を削って使え。滋養もまし、ますます繁盛することだろう。私の鱗は、滝の側の苔の中に混じっている。」


 夢から覚めた主人は山に登り、滝へと向かい、そして、龍神の鱗を見つけたと言う。
 以来、この店は孫の孫のそのまた息子まで、子々孫々と繁盛しているとのことだ。


「おまちアル!」


 さて、その肝心の点心である。
 一口食べる。

 うまい。確かにうまい。

 そのような言い伝えがなかったとしても、十分に繁盛しそうな味である。


「また来るアルね!」


 腹ごしらえもそこそこに、私はその山の麓まで向かうことにした。

 その店から一刻ほど歩いた場所に、その山の祠はあった。
 いたって普通の祠である。


 さて、取材に来たはいいものの、いかに記事にしたものか……
 このままではつまらない。


 あの店の点心の、半分は実は肉まん! とでも書くか……




 突如、雷鳴が落ちた。
 轂を転がすかのような音とともに豪雨が降り、私は急いで祠へと身を移した。

 この雨、どうしたものか、と思っていると、背後から突如、声がした。


「あれは肉まんやない、点心や」


 振り向くと、誰もいない。
 そして、驚くことに雨も止んでいた。




 私は半ば放心状態のまま店へと戻り、老酒と点心を頼んだ。

「ああ、それは龍神様アルね」

と女は言った。

「あなた、よからぬこと考えたアル。肉まんと点心は違うアルよ!」




 なるほど、確かにそうかも知れぬ。
 肉まんと点心は違う。
 よくよく考えてみれば、物の名前を間違える、ということは、人の名前を間違えることと等しいかも知れぬ。



 よし、この記事はこの線でいこう。


 持ち帰りで、点心を買って土産に持って行こう。


「そっちは肉まんアルよ!」



 失敬。



 こうして、わたしは蓬莱の麓の街をあとにした。





2016/06/10

002(森、地平線、輝く枝)<ホラー>


20160610
002(森、地平線、輝く枝)<ホラー>




 奇妙な森の話をしよう。

 どのぐらいの大きさの森かといえば、広すぎることも、狭すぎることもない、とはいえ、油断すると迷ってしまうぐらいの大きさの森だ。
 M県D市の街中に、今も存在する森の話だ。

 不思議に思ったことはないだろうか。
 いたって普通の街中の住宅街の切れ目、または線路の向こう側に見える木々のことを。
 塀やフェンスをぐるっと回ると、それほど大きくはないのに、鬱蒼と茂った森のことを。

 どこにでもある、森の話だ。

 試しに、自分の町を上からスマホでもなんでも見てみるといい。
 きっと見えることだろう。不自然に曲がった道路や、普段は意識することのない、緑色の塊が。
 縮小しても拡大しても、なんの変哲もない、緑がそこにあることだろう。

 しかし、実際に行くのはわけが違う。
 上空から鬱蒼とした枝葉の塊を見ることと、頭上に広がる枝葉の隙間からなんとかして空を仰ぎ見ようとすることは、全くの別なのだ。

 これは、森を見て木を見ない話ではなく、木を見て森を見ない話でもない。

 森の中で、輝く枝を見た話だ。

 繰り返す、これはどこにでもある森の話だ。







 M県D市はかつて、何もない平野だった。ただ一つ、小さな小さな森を除いて。
 海に面するその町は、水平線から陽が昇り、南にも北にも、どこまでも地平線が広がる土地だった。
 一時の間、風が凪ぎ、海風から陸風へと風向きも変わる頃、夕方には陽が沈む。
 その土地では、陽は小さな小さな森へと沈んだ。
 西に位置するその森は、昔からずっとそこにあるそうだ。
 狩猟採集の時代から、都市開発が進み現代に至るまで、その森は存在した。
 道路開発が進み住宅の増えた今でも、ひっそりと存在している。



 私がその森に興味を持ったのは、大学時代の事だった。
 史学科にいる友人が、郷土資料の中にある記述を見つけたのだ。

 その昔、その森には鬼が棲んでいた。
 とても賢いその鬼は、人を罠にかけては喜んでいたという。


 私は鬼など信じなかったし、友人も鬼の存在を信じていなかった。
 しかし、その友人を含む4人の間で意見が分かれた。

 一つは、民間信仰の一つであり、いくら小さいとはいえ、森の危険を子供に伝えるための作り話。
 一つは、海で生計を立てる人々と、畑仕事で生計を立てる人々との対立、ないしは生活圏の違いがそのような話を作り出し、森が緩衝帯となっていたが、今となってはその影もない、という話。


 私ともう一人は測量科、あとの二人は史学科であったということもあり、そこそこ話は弾んだ。
 もっとも、何の生産性もない当て推量であった。

 しかし、若かった私たちはその議論を続けるうちに白熱してしまった。
 とはいえ、何かしらの勝敗が見えるわけでもない。
 夜遅くまで酒を飲み交わしながら議論するうちに眠ってしまい、そのことは頭の片隅に残るまでとなっていた。



 夏の定期試験も終わり、時間を持て余すばかりとなった頃である。
 私を含む4人が私の下宿部屋で、することもなく扇風機で暑さをごまかしていた際のことだ。



 民間信仰派であった一人が、スマホの画面を指差して言った。

「これ、鳥居じゃないか?」

 何のことかと思ったが、私たちは森に関する他愛もない会話の事を思い出した。


 私たちは彼の画面を覗き込んだ。
 確かに、ズームした画面の中の、鬱蒼とした木々の隙間から、周りと微かに色の異なる、灰色が見え隠れしていた。

 鳥居があるんなら神社もあるんだろう、なら民間信仰に違いない、と彼は主張した。

 私は生活圏の違いであろうという派閥であったが、私と同じ派閥のもう一人であるが、いや、それは単なる建造物だ、倉庫か何かに使っていたものだろう、と反論した。


 再び、私たちの間に議論が巻き起こった。

 暇だったのだ。



 暇というものは、よくないことを巻き起こす。

 私たちは、実際に確かめに行くことにした。

 フィールドワークだ、ついでに肝試しだ、などと騒ぎながら、飲み物を買い、酒を買い、つまみを買い、夜になるのに備えた。



 そして、夜が来た。



 私の家から、その森の入り口へと向かう。
 その森は、私の下宿と大学を結ぶ直線の、ほぼ中間地点に位置している。
 森から見て、大学が真西、うちが真東だ。
 さて、どこから進入したものか、とぐるっと一周したのであるが、それは杞憂であった。

 その森は、どこからでも進入可能であった。

 どこからでも、というのは少々語弊があるのだが、住宅外の塀の隙間、踏切の横から、路地の間など、至る所に進入可能な箇所があったのだ。

 結局、私たちは、大学から真東に進み、進入することにした。


 夜となっては人目もない、閑静な住宅街の踏切を横切る形で、森への入り口がある。

 私たちのうち一人が怯えていたが、ええいままよ、と缶ビールを飲み、真っ先に森へと入った。
 思ったよりも薄暗く、彼の姿はすぐに見えなくなってしまう。

 その時、踏切の警報機が明滅する光とともに、けたたましく音を立て始めた。

 見失っては面倒だと思った私たちは、遮断機が降りる前に、3人揃って森へ飛び込んでいった。



 私たちは、暗闇の中を、懐中電灯を手に進んでいった。
 今夜の空は晴れていて、月明かりが街を明々と照らしていたのだが、森へ入ってしまうとその光は枝葉に邪魔され全くと言っていいほど届かない。

 暗く先の見えない森とはいえ、街中の小さな森だ。

 足元を照らし、談笑しながら歩いていると、ほどなくして建造物が目に入った。

「これだ」

 そこには、小さな小屋があった。鳥居に見えたものは、まあ、勘違いであろう。
 しかし、建造物があったのは確かであった。


 近づいてみると、人気はない。それに、誰かが住んでいるような気配もない。

 しかし、使用している気配があるのだ。

 懐中電灯で小屋の中を照らしていると、私たちが動くことで、埃が舞っているのが見える。
 その埃の舞い方が、激しい箇所と穏やかな箇所とがあるのだ。


 明らかに、何者かが使用している。


 私たちに少しばかり恐怖が芽生えたが、ひとまずは鳥居ではなかった、ということで帰宅することにした。


 懐中電灯で、もと来た道を戻る。


「おい」
一人が口を開いた。
「何だ」
「ちょっと止まれ」
「何で」
「いいから」
「だから何で」
「……いいから止まれ」
「だから何でだって」

「っ!!」
瞬間、辺りが真っ暗になった。

「何で懐中電灯消したんだよ!」
「お前らが止まらんからだろうが!」

「何で止まらねばならんのだ」

「音がするんだよ」

 私たちは、黙った。
「気づいてるんだろ? お前らも」

 今は、私たちの息遣いしか聞こえない。

 試しに、懐中電灯をつけてみる。
 っず、っずと、何かを引きずるような、音が聞こえた。

 灯りを消す。
 すると、音も消えた。

 私たちは、灯りを消したまま、黙って歩くことにした。
 もと来たはずの道を歩いて、何十分歩いた頃だろうか。

 森から出ることができない。

 確かに、灯りがないために歩みは遅かった。しかし、私たちはまっすぐに歩いているのだ。
 この森は小さな小さな森である。どこまで行っても森、というのはさすがに奇妙である。

 おそらく、全員が恐怖を感じていたが、口にすることはなかった。

 とはいえ、このままでは埒があかない。
 私たちは、再び懐中電灯のスイッチを入れて歩き出した。






 まただ。また、音がする。
 何かを引きずるような音が近づいてくる。

 ライトを消すと、音も止まる。

「走れ!」

 私たちは、ライトをつけて走った。


 しかし、走っても走っても森から出られない。
 木の枝で腕を擦りむき、服は糸がほつれながらも、私たちは走った。


 走れば走るほど、っずっず、という音も近づいてくるようだった。


 私たちは、ライトを消して立ち止まった。
 原因不明のその音も後方右の草むら辺りでやんだように見えた。
 しかし、ゆっくりと、だが確実に、こちらに近づいてくるようだった。

 私たちの一人が、先ほど買ったつまみの焼き鳥を音のする方へ放り投げた。

 一瞬の間ののち、咀嚼するような音がする。

 私たちは暗闇の中で、一つの決心をした。

 朝まで歩き続けること。

 その後、私たちは朝まで森の中を歩き続けた。
 後ろから音が近づいてくると、そちらへ向かって焼き鳥や唐揚げを千切って放り投げる。

 そのようなことを、何十回、繰り返した頃だろうか。

 森の中に、薄暗くはあるが、藍色の、朝の早朝の光が差し込んできた。
 私たちも、お互いの顔が数十センチの近さであれば確認できるほどの明るさであった。

 鳥のさえずりも聞こえれば、森の外からであろう、自動車の走る音も聞こえてきた。
 自動車の音のする方へ歩いていくと、眩しい光が、木々の間から差し込んできた。
 おそらく朝日であろう。

 その時である。

 けたたましい音が、私たちの真後ろの方向から聞こえてきた。
 目をこらすと、遠くの方に、一定の間隔で明滅する赤い光が見えた。

 この森の周囲には、踏切は一つしかない。
 まず間違いなく、私たちが進入した場所の踏切であろう。


 そちらに歩けば確実に帰れる。私たちは安堵した。
 しかし、である。踏切とは正反対、私たちの真正面のからは、自動車の音が聞こえてきた。
 私たちは顔を見合わせる。全員が疲れ切った顔をしていた。


 眠い。眠たくてしょうがない。
 背後が踏切ということは、その方向は真西、その先は大学。なら正反対は私の下宿である。

 私たちは、走り出した。
 こちらにも、出口はあるはずだ。そして、その先には私の下宿がある。

 わざわざ大学の方面へ抜け、ぐるっと回るよりも、今すぐ泥のように眠りたかった。

 数十メートルほど走った頃だ。私たちは、森を抜け出た。顔を見合わせ、安堵した。


 しかし、奇妙なことに、そこは真東ではなく、北よりに位置するコンビニの前であった。
 私たちは疑問を感じたが、今はもう、そんなことはどうでもよかった。


 誰も口を開くことなく歩き、私の下宿の部屋に辿り着いた。時計を見ると、午前5時20分を指している。
 暑くてたまらなかったが、扇風機を奪い合う気力もなく、私たち4人は泥のように眠りについた。











 そしてこれは、その後の話だ。

 私は大学を卒業し、就職してM県からT県へと移った。
 やがて結婚し、盆休みにR県にある妻の実家を訪れていた際だ。妻の祖父から酒の席で聞いた話である。


 この街中にも小さな森があるらしい。
 今でもその森は残っている。そして、言い伝えも。



 なんでも、その森には鬼が棲みついており、罠で人を騙して食べるらしい。
 その鬼は、森に迷い込んだ人を光でおびき寄せるそうだ。

 真っ赤な真っ赤な、怪しく輝く鬼灯を用いて。



 これは、奇妙な森の話だ。
 繰り返す。


 どこにでもある森の話だ。







2016/06/09

001(虹、クリスマス、ぬれた高校)<SF>


20160609
001(虹、クリスマス、ぬれた高校)<SF>

 ホワイトクリスマスなんて、嘘だ。
「嘘じゃないよ、雪は降るよ」
 なんて言うのは、ノスタルジーにかられたアホウ共だけだ。

「昔のコントがほんとになったんじゃ、彼らは予言者だったんじゃ!」
なんて、私の祖父は言っていた。

 どういうこと? って聞いたら、
「1月にこんなに寒かったら、6月はもっと寒いってことじゃの」って言っている。
 どういうことなの。

 6月9日、早朝6時。
 私は、駅の青いベンチに腰掛けて、電車がくるのを待っている。

 はぁー、と息を吐いた。
 白い息が、世界に生まれた。

「こんなに寒い日に、朝練なんてしなくてもいいじゃない」
 私は、オレンジ色のマフラーに首をうずめた。



 地球の磁気が逆転してから、30年がたった。
 最も、私はその15年後に生まれたから、その頃の大騒ぎぶりは知らない。
 地学の先生は、
「まさか、私が生きている間に逆転現象が起きるとは思っていませんでした」
と授業で話す。
「そりゃもちろん、高校時代に、教科書で習いましたし、大学でも直にその頃、つまり昔の地層を研究室で扱ってましたから、現象があることは知ってましたけど、何億年後だと思ってました」

 そうだったらいいのにな、と思う。
 もっとも、どの季節も嫌いなのだけれど。





 地軸が移動するとともに、「クリスマス」は夏に移動した。

 そう、クリスマスではなく、「クリスマス」が昔でいうところの夏、6月に移動したのだ。
 地軸が逆転して世間がてんやわんやの時に、広告代理店が暗躍したらしい。
「夏にもクリスマスがキマース!」
なんてキャッチコピーで売り出したらしい。
 明るく元気に前向きに、地軸の逆転を捉えよう! だそうだ。

 アホか。

 寒いんならチョコも売れるし、なんならもともとのクリスマスは海でパーティーをして、年に二回のクリスマス! 子どもたちは大喜び! が定着していった、らしい。

 ちなみに、多くの親は泣いていたそうだ。真っ赤な赤字のクリスマス。




 地軸が逆転した結果、天候は少しおかしくなった。
 夏と冬が逆転しただけではなく、6月に、雨と雪が同時に見られるようになった。
 専門家によれば、厳密に言えば梅雨ではないそうだけれど、そんなことはわたしにとってはどうでもいい。


 雪も降れば雨も降る。どんよりした灰色の空と、黒っぽい雪。めんどくさい季節だ。


 今朝は、昨日深夜から早朝まで雨が降っていたせいで、路面が凍っていた。
 電車のレールも濡れている。
 きっと、運動場もべちゃべちゃだろう。
 だから、体育館で朝練を行う、と連絡が来た。

「……暖房かけてまで、しなくたっていいじゃない」

 温暖化万歳。

 ホームに列車がやってきた。いつもの、緑色の鈍行列車。
 わたしは、乗客の少ない電車に、いつものようにそっと乗る。



「よっ」
A子だ。
「おはよ」
わたしは短く返す。
「こんな日に朝練なんてなくていいのにねー」とC美。
「ほんとだよ」


 そう、今日は「6月のクリスマス」なのだ。


「昔はさー、朝起きたらプレゼントがあったよねー」
「そうそう、確認して、開けて、喜んで、すぐに学校だからさー」
「でもそれが楽しかったんだよねー」
「「ねー」」
と、B子とC美は話す。
「眠そうやね」
とC美に言われた。
「うん」とだけ返し、目を瞑る。

 なんだか、今日はめんどくさかった。

 その後、B子とC美は部活のめんどくささを語り合っていた。
 うむ、いつもの日常である。クリスマスはいずこ。

 電車が、学校の最寄の駅に停車した。3人、横に並んで歩く。

 みぞれ混じりの、雨が降り出した。
 B子とC美は、まだ話のタネが尽きていなかった。よくそうも話が続くな、と思う。



 駅から学校までは、一本道である。
 閑静な、というよりも、クリスマスにすら開くことのない商店街を抜けると、すぐそこが学校だ。

 灰色の壁と、立派とは言えない時計台が、雨に濡れて光っていた。


「あ」と、思わず、声がこぼれる。
「何?」
「いや、なんでもない」
「変なの」とB子。

 寝ぼけ眼で、見間違えたのかもしれない。
 虹がうっすらと、ほんとうにうっすらと、学校に向けてかかっていた。


 突然、地学の先生と、プリズムのことを思い出した。
 おしゃべりなB子とC美。
 練習好きの部長。
 けだるそうな顧問。

 分光器。


 光が、ばらばらに分かれていく。

 クリスマス感はまったくないけれど、ホワイトクリスマスではないけど、まあいっか、と思う。




 虹の根元には、幸せが埋まっているのだ。