2016/09/23

032(雪、テント、消えた記憶)<学園モノ>

 


 毎日が繰り返されると思って生きてると、ふと何かを忘れるときがある。


 何かを忘れるということと、ふと思い出すということはセットだ。
 例えば、小学校の頃の通学路で毎日見ていた看板とか、掃除の時間の音楽とか。他にも、妹が毎日学校に持っていく袋に付けられた、穴をふさぐためのアップリケとか。あの袋を破いたのは妹で、隠すための方法を俺が教えてやったのだった。
 もし、何かを忘れたまま思い出さなかったなら、その事象は存在したといえるのだろうか?
 例えば、もう思い出したくもないテストの点数とか。
 まあいい。本題に入るとする。



「あれ、あの日のあれ、どこいったんだっけ?」
 と言い出したのは、部長の照美先輩だった。
「何のことですか?」
 と俺と同学年の清太が尋ねる。
「あれよ、あれ。手袋」
 手袋? と眼鏡女子であるところの宮下先輩が首を傾げる。
「照美の手袋のこと?」
「そう。ほら、宮下は覚えてるじゃない」
「そうは言われても、何のことだか……」と俺は肩をすくめる。
「あんたに貸してそれっきりよ、確か。だから、健、あんたが場所を知ってるんじゃない?」
 と言われたが、俺には覚えがない。
「あ、思い出した。健が確かに借りてたよ、照美先輩の。ほら、あの春休み」
「何のことだ?」
「覚えてないの? 三月なのに、珍しく雪が積もって雪合戦した日」
「あー……」



 そうして俺はようやく思い出した。半年以上前のことだ。
 俺と清太が二年生に、照美先輩と宮下先輩が三年生に進級する前の春休みのことだった。
 新入生向けの新歓に向けて、我ら文芸部が春休みだというのに学校に原稿編集に来ていた時のこと。
 確か、あの日は雪が降っていた。降っていたなんてもんじゃない。前日から降りり続け、校庭には雪が積もっていたのだ。雪は昼前まで続き、なかなかの景色を部活棟の二階から味わっていた。


「原稿の編集なんてしてる場合じゃないわ!」


 と立ち上がったのは照美先輩だった。
 雪が積もっているのに部屋の中にいるなんて馬鹿の極みだ、と先導し、俺たちは雪合戦をする羽目になる。
「健、あんた手袋持ってきてないの?」
「持ってきてるわけないでしょう。こんなに降るなんて思ってないんですから」
「あっそ」
 じゃあ私のを貸してあげるわ、と目の前に手袋を差し出された。
「先輩はいらないんですか」
「私はいらないわ、素手よ」と、顔の前でひらひらと両手を振る。
「寒くないんですか?」
 清太はマフラーに手袋の完全装備だった。彼の目には、照美先輩の姿は奇異に映ることだろう。
「昔っから相変わらずだね」と宮下先輩は笑う。
「じゃあ、始めるわよ」
 こうして、俺たちの雪合戦は始まった。



「嘘だろ……」
 照美先輩と宮下先輩のチームと俺と清太のチームに別れて始まった雪合戦は、明らかに俺たちの劣勢だった。
「照美!」
「ほりゃっ!」
 二人の猛攻が続く。宮下先輩が雪玉を作成し、照美先輩が投げる。完全な分業によるそれは、俺たちを追い詰めていた。
「強すぎねえか?」
「健、そういえば確か、照美先輩、昔ソフトボールやってたらしいよ」
「なるほどね……」
 どうりで校舎の壁にぶつかった雪玉の音が鋭いわけである。当たったら絶対痛い。


「っでっ!」


 と悲鳴をあげたのはたまたま通りかかった山岳部の知り合い、田中だった。
「何やってんの?」
「雪合戦」と俺は答える。
「しかし……」
 田中は向こうのほうに見える照美先輩を見る。
「玉、速くない?」
「昔、ソフトボールやってたらしい」
 へえーっと、感嘆の声をもらす。
「ちょうどいいや。部活対抗で雪合戦しない?」
「山岳部と?」
「そう。今、俺と先輩三人が山岳部にいるんだけど、この雪で今日の予定が潰れちゃってさ。暇なんだよね」
 と田中は苦笑する。
「俺はいいが……」と続けようとすると、向こうから照美先輩が、校舎の方から山岳部の面々がやってきた。
 そして部長の話し合いがもたれ(とはいってもやろうやろうさあやろうですぐ決まったのだが)、俺たちは部の対抗で雪合戦を開始した。
 そして文芸部は照美先輩の素手による移動砲台のために雪玉を作り続け、山岳部は簡易的なテントで防御策まで弄しながら大いに盛り上がったのだった。


 


「で、その手袋よ」
 そう、俺が照美先輩から借り受けていた手袋のことだ。
「どこにあるか知らない?」
 俺は必死に記憶を辿る。
「すいません、今すぐには……」
 そう、と照美先輩は存外にもあっさりしている。
「大事なものでしたか?」
「いいえ、もうボロボロで糸もほつれてきてたし、別にいいわ」
 との返答をいただく。
「すみません」と謝りはしたものの。


 


「どこに置いたっけな……」
 家に帰ってからというもの、ベッドの上に寝転がり、俺は手袋の行方うぃ思い出そうとしていた。
「確か……」と必死に記憶を探る。
 あの日以降は雪は降っていない。だから、もう手袋をつけることはなかった。春休みだったから、次に学校に行ったのは一週間以上後。それで、確か机の上に置いたまま……
「……あ」
 俺は妹の部屋をノックする。
 何よ? と部屋の中から妹の声。
「春頃、お前アップリケにはまってたろ」
 破れた袋を直してからというもの、妹はアップリケにはまっていた。目をつけたものにはとにかく接着を試みていたのだ。
「それでどうしたん?」
「手袋ないか? 俺の手袋」
「手袋?」


 確かあの頃、妹が獲物を探して俺の部屋に入ってきたはずだ。春休みがゆえに昼まで惰眠を貪っていた俺は、妹の問いかけに半ば眠った状態で返事をした。
 この手袋、直していい? うん。と。
「手袋なー」
 もう秋やもんなー、という声に混じって押入れの中を探る音がする。
 あった、という素っ気ない声の後、部屋の扉が開いた。
「ん」
「どうも」
 俺は手袋を受け取る。
「何これ、狐?」
「兎やよ」
 とアップリケを指差して言う。
「綺麗に直っとるやろ?」
 ん、邪魔して悪かったな、と返事をして俺は自室に戻った。
 まあよかった、無事見つかったと安堵した俺は、手袋を机の上において再びベッドの上に寝転がった。


 手袋なしで素手で雪玉を作り、あれだけ雪の中を動き回れるんなら、照美先輩は雪兎というよりは確かに狐だな、と思う。


 まあいいや。明日返そう。