青春は灰色だ。
次の授業のために美術室へと移動しながら、俺はそんなことを考える。校舎の廊下を歩くとき、その思いをより一層強くする。青春など、やれテレビドラマやら漫画やらメディアが突きつけてくるイメージに過ぎない。あんな物は大嘘だ。
一体どこに奇妙な部活があるのか。美少女とたまたま席が隣になるのか。はたまた登校中にぶつかったりくっちゃべったり空から落ちてきたりするのか。
あえて声を大にして言おう。心の中で。
そんなものはなかった。
「期待してたんだね」
なんて言うのは頭の中のピュアなる俺である。世の暗黒惨憺たる理に毒されていなかった俺である。あの頃は若く、純粋でした。
そして、愚かでした。
高校生活はこんなに楽しいんだ、なんて青春漫画を読んでいたあの頃の俺、グッドバイ。
高校生活なんてクソクソアンクソ、学校帰りの肉まんと缶コーヒーだけが友だちの俺、ないすてゅみーちゅー。
帰りたい……
美術の授業が始まっても、その思考は止まることを知らず、むしろ今日の授業は静物画のデッサンであったがために、その思考はより加速する。教師の講義を聴くのではなく、静物画のデッサンとしてリンゴを見つめ誰とも会話しない状況では、より内面へと思考が潜伏する。しかも画題はデッサンに何かをつけたせ、ときた。何を描こうか、リンゴの隣には何がふさわしいか、思考をめぐらせる。
そう、その姿はまるで、正体を隠して生きる現代の哲学者――
「その辺でやめておきなさい」
と一オクターブ高めで頭の中にこだまする声は、比較的、冷静な俺である。そんな考えは夜眠る前だけにしておきなさい、戻ってこれなくなるわよ、と。
俺はそのゴーストに従う。
でも、あれね。なんで普段喋る量よりも頭の中の声のほうが多いんだろうね。頭八割、会話二割、見たいな。パレートの法則?
例えばである。あそこで和気藹々としている仲間に囲まれているにも関わらず、黙々とリンゴを描いているクラス内ヒエラルキー上位のイケメン爽やか高校生スーパーマンなんかも、頭の中の声の方が多かったりするのだろうか? それとも、クラスの上位二割に位置する奴は、脳内会話の割合も会話に比べて二割なのかしら?
なんてことを、そいつを見ながら考えていた。目があった。
やばっ。視線を感じたのだろうか。……そりゃそうか。
すると、あいつは事も簡単に、にこっと爽やかスマイルを返してくる。……返してくる、というのは厳密にはおかしい。俺は別にあいつに笑いかけてなどいない。仕方なしに、俺は俺で、アルカイックスマイルならぬギコチナッシスマイルを返しておく。ああ、やばい、絶対に笑えてねェ。
するとあいつは満足したのか、自らのキャンパスへと視線を落とし、リンゴのデッサンを再開する。
……やめて! これ以上俺に劣等感を植え付けないで!
どうにもこうにも落ち着かないので、デッサンに勝手に手を加える。リンゴ、リンゴ、あー、もういいや、なんか描き足そう。教室を見渡すと、サモトラケのニケのスケッチが目に入った。美術部が書いた物だろうか。あれでいいや。書き加えちまえ。
リンゴの隣に、二周りほど小さく描いていく。サモトラケのニケに頭はないけど、いいや、描いちまおう。リンゴの隣にいる妖精。うむ。それでいい。俺は寛政をイメージしながら筆を走らせていた。
「あら、発想が豊かなのね」
と、右斜め後方から声がかかる。美術の教師、眼鏡の奥に、穏やかな瞳を携えた中年の女性教諭だ。
「……ありがとうございます」
とりあえず返事をしておく。
……やめて、褒めないで! 突然褒められてもどういう顔をしていいかわからないの!
その後も筆を動かしながら、ぼんやりと考える。
あー、青春なんて灰色だ。
今日は学校帰りにコンビニで肉まんと缶コーヒー買って、撮り溜めたアニメでもみよう。