2016/10/05

035(曇り、窓、ぬれた記憶)<ギャグコメ>


20161005
035(曇り、窓、ぬれた記憶)<ギャグコメ>



 曇りガラスの向こうを眺めるのが好きだ。

 普通のガラスでは物足りない。それでは向こう側の景色が透けて見えてしまう。
 向こうに何者かがいるのに、顔が見えない。存在しているということしか感じられない。
 そんな曇りガラスのことを、私は気に入っていた。
 特に、雨の日の曇りガラスは格別だった。
 その時、もはや窓は景色よりも音を伝えてくる。
 雨の音。
 曇りガラスが濡れて、窓を伝う。曇り空から雨が降る。
 そんななんとも言えない天気の時、洗濯物を取り込みに外へ出かけると、どうしても濡れてしまう。

 どうしてかはわからないが、その瞬間がたまらなく好きだった。



2016/09/23

保育所の卒園式と、どろぼうがっこうの記憶

今週のお題「プレゼントしたい本」


 


 『どろぼうがっこう』という絵本がある。


 この本と私の出会いは十年以上前に遡る。
 私がこの絵本に出会ったのは、保育所の卒園式の日であった。


 ものごころがついてわずかばかり、今の日本ではなにかと話題の、保育所から幼稚園へと移るイニシエーションの真っ只中にこの本と出会った。


 恥ずかしながら、卒園式の内容は覚えていない。
 クラスのこと喧嘩したり追いかけっこしたり、お昼寝の時間だったりそこそこ濃密な時間を過ごした記憶はあるのだが、断片的な記憶を幾つか残すのみである。


 その保育所も今や地域の児童数減少のため、場所が移転されて他の保育所と合同になり建物を残すのみとなっている。
 児童の声が響いていたその建物の門が開くのは、今はもう、選挙の投票日だけだ。


 私はかつてそこにあった保育所を卒園する際にこの本当出会った。
 卒園する際にプレゼントされた本が『どろぼうがっこう』である。


 おそらく、卒園する全員にプレゼントされたものであると思う。
 おそらく、というのは、卒園式で渡された袋は黄色い中の見えない袋で、隣のけんちゃんの袋の中を確認したわけではないから、という意味である。


 もしかしたら児童それぞれに違う本を選んで渡していたのかもしれないが、そこまで余裕があるようにも見えなかった。


 で、肝心の本の内容である。
 ロングセラーの絵本だから、ご存知のかたも多かろう。



 はじめに言っておく。ここから数行は嘘のあらすじだ。



 物語はオッドアイのミミズクの語り手からはじまる。
 主人公は盗賊の息子だが、ものごころ着く前に養子に出されてしまう。
 それは盗賊の両親が、息子には同じ道を歩ませまいとした選択だった。
 しかし、運命とは不思議なもので、主人公が九歳の時、ある大ワシにさらわれるのだ。
 大ワシの飼い主は大盗賊で、その大盗賊は器量が大きく、主人公を養うのだ。
 そして主人公は盗賊の学校に通い、技術を身につけていく。
 養子に出され、大ワシに攫われて、盗む技術を身につけた主人公は何を見つけ出すのか。
 自分のモノはなにもない。他人から奪うだけ。
 誰よりも一流の盗む技術。盗まれないのはこの技術と才能だけだが、そこに生じる盗まなければ自分には何もないという矛盾。
 はたして主人公にとって自分だけのモノとは……?
 


 ここまでが嘘のあらすじだ。以下、本当のあらすじ。


 ちなみに、
 物語はオッドアイのミミズクの語り手からはじまる。
 という部分。これは本当だ。


 物語は金色の目と、銀色の目を持ったミミズクからはじまる。
 おいのこ森のこのミミズクがどろぼうがっこうの紹介をするのだ。


 どろぼうがっこうの先生は派手である。
 どろぼうにも関わらず、隈取りっぽいのをしている。
 どこぞの忍者とためをはれる派手さである。


 先生が出す宿題はこうだ。
 何か盗んでこい。学校に持ってこい。以上。解散。


 雑だ。すごく雑だ。


 そして生徒は見事答えるのだ。


 革靴を盗んできた(自分の家の靴箱から)
 アリのたまごを30ほど(寺の庭を掘って)
 金時計を盗んできた(先生が首からぶら下げてるやつ)
 学校の黒板を盗んできた(最初から教室にある)


 落語的である。


 そして彼らは、先生の引率のもと遠足へ行く。
 かねもちむらへどろぼうに行くのだ。


 これはもはや遠足では無い。実地訓練である。
 いわばインターンだ。
 OJTとも言えるかもしれない。


 悲しいかな、最後には彼らは捕まってしまう。


 私はこの話が好きだった。
 愉快な泥棒たちがおもしろく、また掛け合いが面白かったからである。
 どろぼうしてはいけない、ということをおもしろおかしく描いた物語だと思っていた。



 しかし改めて読み直してみて、別の感想を抱いた。


 これは、船頭が舵取りを間違えた物語だ。


 


 以下、結末までのネタバレを含む。


 かねもちむらへと出かけた彼らの一団は、むらで一番大きな建物へと忍び込む。
 先生いわく、金持ちの家はでかいから狙い目だ。
 その家には、番兵がいる。
 先生いわく、金持ちの家だから泥棒よけに見張っているのだ。
 学校かホテルかのように、たくさんの
 先生いわく、億万長者の屋敷だ。
 頑丈な鉄の扉に鍵がかかっている。
 先生いわく、そこに宝があるに違いない。
 しかし、その部屋に宝はない。


 そこは実は、その辺りで一番大きい刑務所の一室だった。
 どろぼうがっこうの面々はみずから刑務所に入った、というわけだ。


 どろぼうのリーダーが、舵取りを間違えた結果、捕まってしまう。



 都合のいい解釈が危険を招く。
 その意味では宮沢賢治の『注文の多い料理店』にも構造は似ている。


 異なる点は、二人の男の掛け合いではなく、上司の判断が間違っていた、という点だ。


 今の私は、この物語を純粋に笑うことができない。
 間違いなく名作だ。少なくともわたしにとっては。



 そんな読み方はいいがかりである、歪んでいる、という見方もあるだろう。
 それはその通りだと思う。


 しかし、子供の頃に読んだ感想と、いまこの絵本いだく感想が違うということ。


 それがまた、この本がロングセラーになりうる理由なのだ、と感じるのである。


 


 もっとも、こどもたちにとってはそんなことは関係なく、純粋におもしろいがゆえに受け入れられているのだろう。


 そしてそれでいいのだ、と思う。


 歪んだ見方を抜きにしても、この絵本はおもしろい。


 


 


※書き終わってから気づいたのだが、保育所に対応するのは卒園式でいいのだろうか。卒所式、という表現は、少なくとも周りでは聞かなかった。


 


写真嫌いの私とカメラ、時々ラムネ

お題「カメラ」


 


 私はカメラが苦手だ。
 思い出を切り取ってしまうことが苦手で、形にしてしまうことが嫌いだ。


 それでも強いて言うなら、思い出はビー玉だ。
 ビー玉といえばガラス瓶で、その二つが合わさればラムネ瓶だ。
 ラムネ瓶は美しい。
 夏になるとラムネが飲みたくなる。
 ラムネを飲むと、思い出してしまうことがある。
 運動会におけるカメラのことだ。


 かつて、という話になってしまうが、少なくとも私の周りではカメラは身の回りのあらゆるものを撮影するものではなかった。
 フィルムだって安くない。
 厳選して写真を撮るのが普通であった。


 昔の写真を見直しても、皆一列に並びシャッターの瞬間を待つ。
 今のように躍動感あふれる自撮りの写真の類を、かつての自分は持っていなかったしその発想もなかった。
 あの頃の自分は、少なくとも自炊がうまくいったからと言ってわざわざ押入れからカメラを取り出し写真に収めようなどとしない。
 今やスマホでパシャりである。
 その事を考えれば、カメラも随分と安くなったもんである。


 カメラといえば、運動会だ。
 リレーでも組体操でもソーラン節でも、フィルムに収められたものだ。


 私はそれが苦痛だった。


 カメラの前で、私はうまく笑えない。


 加えて、足が速いわけでもない。踊りがうまいわけでもない。
 私はカメラから逃げ回った。
 学校の先生でも、近くのカメラ屋さんが撮影する時も、極力、顔が正面から映らないように工夫していた。
 集合写真ではさすがにそうもいかなかったが、多くの場合は功を奏した。


 個人情報に敏感な今の状況は知らないが、学校の行事の後は写真が貼り出されるのが常だった。
 そこから自分が購入したい写真を選ぶのだが、カメラから逃げ回っていた私の写真は当然ながらそこにはない。
 そのことがまた、私のささやかな喜びでもあった。


 ところが、だ。一度だけ、その写真の中に私が混ざっていたことがある。
 集合写真ではなく、正真正銘の個人写真で、私にピントが合わされ背景には運動場に掲げられた万国旗がたなびいている。
 私の口には、ラムネ瓶が咥えられていた。


 油断した。一体どこから狙われていたのかはわからないが、その瞬間を収められてしまったのである。
 私は自分の顔が嫌いだった。だから逃げ回っていたのに、後世に残る光の焼きつきとして写真となってしまった。


 しかし、私はその写真を直視することができた。
 笑っていたからだ。
 ラムネを飲んでいる時、私の顔が自然に笑っているということを、その写真から教えられた。


 その写真は今も、実家の机の引き出しの中にあるだろう。


 友人と飲みに出かける時、写真を撮る流れになることがある。
 大人になった今も、その瞬間が苦手だ。
 レンズから顔を逸らそうとしてしまう。


 どんなに酔っ払っていても、私を笑顔にできるのは、今も昔もラムネだけだ。


 


まとまっている話

三題噺で、そこそこ整合性が取れているもののリストです。 


001 (虹、クリスマス、ぬれた高校)<SF> - 三題噺の練習帖


002☆(森、地平線、輝く枝)<ホラー> - 三題噺の練習帖


006☆(入学式、悩みの種、意図的な廃人)<悲恋> - 三題噺の練習帖


007☆(楽園、テント、ねじれた恩返し)<サイコミステリー> - 三題噺の練習帖


012☆(砂、迷信、嫌な可能性)<童話> - 三題噺の練習帖


017☆(入学式、虫アミ、家の中の大学)<ギャグコメ> - 三題噺の練習帖


020☆(部屋、虫アミ、燃える記憶)<アクション> - 三題噺の練習帖


031 (黄昏、化石、先例のない遊び)<指定なし> - 三題噺の練習帖


032 (雪、テント、消えた記憶)<学園モノ> - 三題噺の練習帖


 


投稿作品

 


小説家になろうに投稿しているもののリストです。


 


 


白線と文化祭


900文字と少しの短編。すぐに読み終わります。