2016/09/23

018 (天国、風船、最速の主従関係)<ラブコメ>

 


‐‐離すなって言いましたやんかぁ!!


‐‐なんでわいは今、お嬢はんと空から落ちますねんや!


「ほなかて、手の力がもう入らんようになってしもうてん」
「せやけど、風船から手え離してしもたら落ちるってわかってましたやんか!」
「しゃーないやろ、生まれてこのかた箸より思いもん持ったことないんやし」
「せやけど、このままやと死にまっせ」


 男と少女が空にいた。男の方は二十代半ば、少女は十五、六歳といったところだろうか。青い着物のとは対照的に、赤の晴着はれぎを着た少女。
 白い雲ひとつない快晴の青空に、よく映えている。
 二人は今、落下していた。話は少し前にさかのぼる。


 


「ええ天気やし、出掛けよか」
「ええんですかお嬢さん、一昨日、外出禁止令出たばっかやないですか」
「かまへん。あんなもん、うちの爺さんが神経質なだけや」
「そうでもないと思いますえ……」
「そなことない。うちに、いかなる時も正直であれ、言うたんはお爺やで」
「せやかて、ご隠居の囲碁仲間に禿や言うことありませんやんか」
「何言うとんねん。ハゲはハゲや、真実や」
「いやでも、そらご隠居も怒りますやろ」
「ほな言うけど、そもそもうちを子ども扱いしたんは黒田屋さんの方や。可愛らしいわあ、十歳? や言うて、知っとるくせに」
「そらまあそうですけど……」
「何や!」
「いや、何でもないです」
少女の背丈は他の同年代に比べて小さいものであった。体重も軽く、突風でも吹けば飛んでいきそうである。
「それはそうと、出かけるで」
「はあ、どうぞ行ってらっしゃいまし」
「何言うとんや、一緒に来るんやで」
「何でです?」
「暇やからや」
「そんなに満面の笑みで言わんでも……」
少女の顔は、暇とは対局的なものであった。


 


「あの時、やっぱり見送りだけしましたらよかったあああああ」
「何言うとんねん、ほんなら竹が怒られるだけやろ」
「せやかてまさか考えもしませんやろ、出かけたらすぐ、風船、手えから離した子どもがおって」
「うちがそれ掴んだら、からだも浮かんだもんやから」
「慌ててお嬢はんの脚掴んだら、わてまで浮かび上がって」
「あれよあれよと空の上や」
「それでお嬢はんの手がもう耐えれん様になってしもうて」
「今、こうして落ちよるってわけやな」
「でもお嬢はん、冷静ですな」
「そらもう、無理やろ」
「やっぱそう思います?」
「そらそうやろ。幸い、風に流されて河の上まで来たとはいえ、この高さやとまず死ぬな」
「えらい達観してますね」
「まあな、うちは子どもちゃうからな」
「自信満々に言うてますけど、さっきから足の皮、鳥肌だらけですえ」
「うっさいわ! ほな言わせてもらうけどな、お前の剃り残しの青ヒゲさっきから脛すねんとこでじょりじょりいうて気持ちわるいわ!」



 二人は派手な音を立てて河に落ちた。


 


「あれま」
「これはどういうことでっしゃろな」
「うちら河に落ちたのに」
「また空の上でっか?」
「あ、あれ見てみい」
 少女が指差す先には、一つの看板があった。



 天国こっち→



「ほな行こか」
「お嬢はん、もはや達観しすぎちゃいますか?」
「しゃーないやろ、河に落ちて空の上で、あんな看板があるってことはあの世なんやろ」
「はあ、まあ」
「ほな行くで、ついて来きいや」
「へいへい」


‐‐かみさんに会うんなら、その青ひげきっちり剃った方がええんちゃうか
‐‐そう言うお嬢はんも、髪の毛ぼっさぼさですえ
‐‐まあもうしゃあないわな


 



 空から最速の速さで落ちる二人の主従関係が応用的な吊り橋効果で少しだけ親密になるかもしれない例の一つ。