2016/09/23

保育所の卒園式と、どろぼうがっこうの記憶

今週のお題「プレゼントしたい本」


 


 『どろぼうがっこう』という絵本がある。


 この本と私の出会いは十年以上前に遡る。
 私がこの絵本に出会ったのは、保育所の卒園式の日であった。


 ものごころがついてわずかばかり、今の日本ではなにかと話題の、保育所から幼稚園へと移るイニシエーションの真っ只中にこの本と出会った。


 恥ずかしながら、卒園式の内容は覚えていない。
 クラスのこと喧嘩したり追いかけっこしたり、お昼寝の時間だったりそこそこ濃密な時間を過ごした記憶はあるのだが、断片的な記憶を幾つか残すのみである。


 その保育所も今や地域の児童数減少のため、場所が移転されて他の保育所と合同になり建物を残すのみとなっている。
 児童の声が響いていたその建物の門が開くのは、今はもう、選挙の投票日だけだ。


 私はかつてそこにあった保育所を卒園する際にこの本当出会った。
 卒園する際にプレゼントされた本が『どろぼうがっこう』である。


 おそらく、卒園する全員にプレゼントされたものであると思う。
 おそらく、というのは、卒園式で渡された袋は黄色い中の見えない袋で、隣のけんちゃんの袋の中を確認したわけではないから、という意味である。


 もしかしたら児童それぞれに違う本を選んで渡していたのかもしれないが、そこまで余裕があるようにも見えなかった。


 で、肝心の本の内容である。
 ロングセラーの絵本だから、ご存知のかたも多かろう。



 はじめに言っておく。ここから数行は嘘のあらすじだ。



 物語はオッドアイのミミズクの語り手からはじまる。
 主人公は盗賊の息子だが、ものごころ着く前に養子に出されてしまう。
 それは盗賊の両親が、息子には同じ道を歩ませまいとした選択だった。
 しかし、運命とは不思議なもので、主人公が九歳の時、ある大ワシにさらわれるのだ。
 大ワシの飼い主は大盗賊で、その大盗賊は器量が大きく、主人公を養うのだ。
 そして主人公は盗賊の学校に通い、技術を身につけていく。
 養子に出され、大ワシに攫われて、盗む技術を身につけた主人公は何を見つけ出すのか。
 自分のモノはなにもない。他人から奪うだけ。
 誰よりも一流の盗む技術。盗まれないのはこの技術と才能だけだが、そこに生じる盗まなければ自分には何もないという矛盾。
 はたして主人公にとって自分だけのモノとは……?
 


 ここまでが嘘のあらすじだ。以下、本当のあらすじ。


 ちなみに、
 物語はオッドアイのミミズクの語り手からはじまる。
 という部分。これは本当だ。


 物語は金色の目と、銀色の目を持ったミミズクからはじまる。
 おいのこ森のこのミミズクがどろぼうがっこうの紹介をするのだ。


 どろぼうがっこうの先生は派手である。
 どろぼうにも関わらず、隈取りっぽいのをしている。
 どこぞの忍者とためをはれる派手さである。


 先生が出す宿題はこうだ。
 何か盗んでこい。学校に持ってこい。以上。解散。


 雑だ。すごく雑だ。


 そして生徒は見事答えるのだ。


 革靴を盗んできた(自分の家の靴箱から)
 アリのたまごを30ほど(寺の庭を掘って)
 金時計を盗んできた(先生が首からぶら下げてるやつ)
 学校の黒板を盗んできた(最初から教室にある)


 落語的である。


 そして彼らは、先生の引率のもと遠足へ行く。
 かねもちむらへどろぼうに行くのだ。


 これはもはや遠足では無い。実地訓練である。
 いわばインターンだ。
 OJTとも言えるかもしれない。


 悲しいかな、最後には彼らは捕まってしまう。


 私はこの話が好きだった。
 愉快な泥棒たちがおもしろく、また掛け合いが面白かったからである。
 どろぼうしてはいけない、ということをおもしろおかしく描いた物語だと思っていた。



 しかし改めて読み直してみて、別の感想を抱いた。


 これは、船頭が舵取りを間違えた物語だ。


 


 以下、結末までのネタバレを含む。


 かねもちむらへと出かけた彼らの一団は、むらで一番大きな建物へと忍び込む。
 先生いわく、金持ちの家はでかいから狙い目だ。
 その家には、番兵がいる。
 先生いわく、金持ちの家だから泥棒よけに見張っているのだ。
 学校かホテルかのように、たくさんの
 先生いわく、億万長者の屋敷だ。
 頑丈な鉄の扉に鍵がかかっている。
 先生いわく、そこに宝があるに違いない。
 しかし、その部屋に宝はない。


 そこは実は、その辺りで一番大きい刑務所の一室だった。
 どろぼうがっこうの面々はみずから刑務所に入った、というわけだ。


 どろぼうのリーダーが、舵取りを間違えた結果、捕まってしまう。



 都合のいい解釈が危険を招く。
 その意味では宮沢賢治の『注文の多い料理店』にも構造は似ている。


 異なる点は、二人の男の掛け合いではなく、上司の判断が間違っていた、という点だ。


 今の私は、この物語を純粋に笑うことができない。
 間違いなく名作だ。少なくともわたしにとっては。



 そんな読み方はいいがかりである、歪んでいる、という見方もあるだろう。
 それはその通りだと思う。


 しかし、子供の頃に読んだ感想と、いまこの絵本いだく感想が違うということ。


 それがまた、この本がロングセラーになりうる理由なのだ、と感じるのである。


 


 もっとも、こどもたちにとってはそんなことは関係なく、純粋におもしろいがゆえに受け入れられているのだろう。


 そしてそれでいいのだ、と思う。


 歪んだ見方を抜きにしても、この絵本はおもしろい。


 


 


※書き終わってから気づいたのだが、保育所に対応するのは卒園式でいいのだろうか。卒所式、という表現は、少なくとも周りでは聞かなかった。