2016/09/23

006☆(入学式、悩みの種、意図的な廃人)<悲恋>

 



 目の前の女子の肩に、桜の花びらが乗っていた。



 ‐‐あいつは今も、部屋ん中でゲームでもやってんのかね……



 空は快晴、運動場の片隅後者を背景に、一年四組の三十九人は立っていた。
「はーい、撮りますよ」
との声の後、カメラマンはシャッターを切る。
「じゃ、教室でこれからガイダンスすっぞー」という担任の声のもと、俺達三十九人はだらだらと着いていく。


 一年四組の生徒数は、本来四十人である。
 この写真に、あいつは写っていない。



 ‐‐もっとも、あいつ写真とか大嫌いだもんな……



 それぞれで何人かのグループを作り、話しながら校舎まで歩いていく。入学式は中学校とさして変わらんな、と思う。
「なあ、部活とか決めた?」と、右側から話しかけられた。
「いや、特に決めてないよ」と適当に返事をする。
途端に、彼は顔色を輝かせた。
「なら、バンドやらね? バンド!!」
「バンド? まあ、気が向いたらな」
うっしゃ! とそいつはガッツポーズをする。頑張れ。俺はそこまで乗り気ではない。
 適当に話を合わしながら、校舎まで歩く。


 教室では、席がそいつと前後だった。
「お、奇遇だな! これで授業中でも練習の話ができるな!」
「まだやるとは言ってねえだろ」
中学の時の話や、どんな音楽を聴くか、何てことを話してるうちに、担任のガイダンスが始まり、説明が終わり、少しそいつと話して、校門前で別れて俺は学校を後にした。



 校門で別れた後、後ろから誰かに背中を叩かれた。振り向くと、そいつが息を切らして走ってきた様子で、
「言い忘れた!」
と俺の背中をまた二、三回軽く叩いた後、
「また明日な!」
と走り去っていった。元気な奴だ。


 


 


 腕時計を見る。12時30分。



 ‐‐昼飯でも買って、あいつのところへ持って行くか。



 俺はコンビニへ向かい、弁当二つと清涼飲料水を二つ買う。弁当は適当に、飲み物はカルピスとアクエリアスでいいだろう。
 会計を済ませて、学校と俺の家の中間地点にあるあいつの家へと向かう。


 話し相手ができたのは、まあ幸運だったかな、何て考えながら、平日の桜並木の下を歩く。
 もっとも、バンドは多分やらねえけど。



 考え事にふけっているうちに、あいつの家の前にたどり着いた。慣れた手つきで、いつものようにチャイムを鳴らす。
 ドアの向こうから、トタトタと軽い足音がした後に、ガチャリと鍵の外される音がした。


「おはよ」
「ん」と、あいつこと、S美は返事を返す。相変わらずの、ボサボサの髪。


「何それ」
「弁当」
「味は?」
唐揚げと、トンカツ、と答えながら、靴を脱いで上がらせてもらう。
「弁当ばっか気にしてんじゃねえよ」
「来るたびに人の髪の毛を気にするやつに言われたかねえよ」


 そう言って、S美はくるりと背を向け、自分の部屋へと歩き出した。俺も彼女に着いていく。


「何もねえけど」お決まりの言葉だった。
でも、今日はいつもと違っていた。
「プレステは?」
「しまった」と、何でもないかのようにS美は言った。


 さー、飯、飯と呟きながら、財布から五百円玉を取り出すS美。


 俺は絶句した。あの、学校に来る日数をギリギリまで減らし、日々ゲームに熱中していたS美の部屋から、プレステをはじめとした、各種ゲーム機が消えているのである。


「何で、嘘だろ?」
「嘘でも牛でもねーよ」と、面倒くさそうに答える。



「私ももう高校生だからな!」



 俺は目眩がした。もっともこいつから出てきそうにないセリフである。そして、つい口から言葉がこぼれてしまう。



「学校こんのかーい!」と。


 


「行くわけねーじゃん、めんどくせーし」唐揚げを頬張りながら答える。
「じゃ何でゲーム機片付けたんだよ」
「勉強のためだ」
 トンカツ一個もーらい、とS美は俺のトンカツを奪う。
 俺は箸を落とした。
「あのS美が? 勉強? あの生まれてから容姿にも才能にも恵まれたのにやる気がなくて髪もとかさずゲームと飯以外には興味を示さなかったS美が勉強? 嘘だろ?」
「人を貶めるのはやめてもらえますかね」
罰だ! と言ってS美がポテトサラダを奪おうとするのを防ぐ。


「どんな心境の変化よ」


「今後の人生で一生ゲームを楽しむためだよ」


 俺は彼女の言っている意味がわからず、手の動きを止めてしまう。
 ポテサラゲットだぜ! とS美は自分のおかずに加えた。


「授業のカリキュラムと、大学のシラバスを見たんだよ」と、S美は机の下から一つの冊子をいくつかのプリントされたA4用紙を取り出した。
「これまでは勉強せずともテスト前に教科書みればやってこれたけど、多分、これからは無理だな」
と言い、カルピスを飲む。
「意外と広いんだな、国立行こうと思うと、受験の範囲」


 俺は、S美がプリントした資料をめくる。


「でもこれ、シラバスの方は受験問題じゃなくて大学のカリキュラムじゃん」
それはな、とS美は続ける。
「受験問題は昨日ネットである程度見たんだよ。そっちは大学入ってからの授業だ」


 ほーん、と俺は思う。


「何でそこまで考えてんのに、学校こねえの?」
わかってるくせに聞くなよ、とカルピスを飲み、
「めんどくせーかんな」
と呟き最後の唐揚げを頬張った。


「私は人付き合いがめんどくさい。必要以上に関わりたくない。お前も知ってんだろ?」
ああ、て事は、と俺は続ける。
「もう、高校での必要出席日数とかも計算したん?」
「当然だ」
「さいで」
「とは言え、ゲームをするためには金がいる。金を稼ぐためには人と関わる必要がある。だが最低限しか私は人と関わりたくない。だから、選択肢は多い方がいい。今のところ、研究者なら達成できるのではないかと思うっている」
「でも、研究者って学会とか発表とかでコミュ力むっちゃいるって言うじゃん」
そん時は、とまたカルピスを飲んで、
「そん時だな」
とニヒルに口元をこぼす。


「BFのチャット越しに同僚と会話するわ」
「何の研究職なんだよ」
「さあな」と笑う。


「まあその時は、わからん。計画はしても、先のことはわからんよ」
と、俺の頭越しに、S美は自分の部屋の壁を目を細めて見やる。


 俺は、振り向かない。


 視線の先には、S美と、S美の母、父、弟が写った写真があることを、俺は知っている。
 そして、なぜS美がそんなことを言うのかも。


「そこまで考えてるんだったら、なおさら学校来ればいいのに」
と俺は笑う。
「めんどくせーかんな」
とS美も笑う。
「学校来れば、毎日でも一緒に登下校できるじゃん。今日なんて快晴の桜並木だぜ?」
と俺は言う。
「先のことは、わからんからな」
と、S美は口元を緩める。


 俺は、今、笑えているか不安だった。


 


 


 さて、とS美は言葉を紡ぐ。
「まあ、出席する日は連絡するさ。その時はよろしくな」
 ん、と答える。
 俺は立ち上がり、帰る準備をして、玄関に向かった。扉の前で、S美と向かい合う。


「じゃあ」
「おう、また」
「……」
「何だよ」
S美が何かを言いたげだった。
いや、と続け、
「何でもない」と言う。


 俺は踵を返す。
「バンド、やってみたらどうだ?」
「は?」
「背中」


 背中に手をやると、何かが指先にひっかかる。俺はそれを、中指と人差し指とではがしとった。



「バンド、やろうぜ!」
の文字の下に、URLが書かれている。小さく、「俺が作った曲聞いてみて!」と。


 


 S美はくすくす笑う。
「先のことはわからんよ」
俺は肩をすくめた。
「またな」
ああ、とS美は言って、俺たちは別れた。


 


 ぼけっとした頭のまま、桜並木の下を帰途についていたが、ふと思い立ち、立ち止まってスマホでそのURL にアクセスした。
 ちょうどよくバス停のベンチがあったので、イヤホンを耳に突っ込み、俺はその曲から適当に選んで聞く。


 


 春の風に舞う桜の花びらを見ながら、貯金いくらあったけとか、今晩の夕飯だとか、次に来るバスに飛び乗ったらどこまで行けるんだろうなんて事柄が、頭の中でリフレインしていた。